☆衣の意味について考える
衣食住と言う言葉が生まれた背景
衣食住という言葉があります。
この言葉そのものは、幕末~明治にかけて使われ始めた言葉のようですね。
元々の言葉は、漢の管子に「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」という事はあまり知られておりません。
この言葉は、こういう意味です。
「人というものは穀物庫が満たされて初めて、礼儀を気にかける余裕が生まれる。
そして衣服や食べ物の心配をせずに済むようになって初めて、栄誉や恥辱を気にするようになる。」
穀物庫が満たされ食べ物の心配がなくなると、そこから礼儀作法を大切にしようという気持ちと、栄誉をありがたいという気持ちと、人として恥ずかしいという言動についての注意と反省が出来るようになるといった意味です。
文の中に唐突に「衣」が組み込まれている感じがしますが、これはこういう事ではないでしょうか。
「穀物が満たされ食べ物の心配がなくなると、余る分も出てきてそれで交易も可能となり豊かな衣類も手に入る」というふうに、私は解釈しております。
さてここから、衣食足りて礼節を知るという言葉が、日本に定着しました。
意味が小さくなってますがね。
そしてこの衣食足りて礼節を知るに、幕末から明治にかけて住居、つまり家の要素が加わって、衣食住となりました。
日本が開国し、自由な個人の邸宅という意識が広く定着し始めた頃なのでしょうね。
「衣食住」の距離感と性質
衣食住の言葉の並びですが、左から順に、人が接触している距離と時間が関係しているのかなと私は思います。
衣は、身にまとうものですし、長時間肌に触れているものです。
体を、外の自然と柔らかに切り離し、色んな意味で保護するもの。
また階級を表したりしますよね。
そして食。
これは外の自然を体に摂り入れることで、命の維持にも直結しています。
ただ接している時間は三要素の中で一番短い。
それで最後に加わった要素の、住。
これは完全に体から離れて、外の自然からしっかり切り離して、安心と安全を守るもの。
住については、トコとユカや、寝殿造り・書院造り・数寄屋造りでもお話ししましたので今回は見送って、衣の話を少々します。
衣
衣(ころも)という読みは、包む(くるむ)と同じだという説があります。
精神的な美しさを表現するものでもあるため、昔の和歌などによく見られますよね。
社会的文化的な意味合いの包み物(布)という事です。
そしてまた、包むの意味でもありますので、天ぷらの衣なんて使い方も残っていますよね。
それと、衣の「も」は、「裳(下半身を覆う布)」だそうです。
衣(ころも)包む(くるむ)着物(きもの)は、カ行の言葉で何となく仲間だと分かると思います。
余談ながら着物は、包む衣、、、くるむもの、くるもの、きものと変化していったと唱える説もあるようですよ。
一方、服。
こちらは、身分階級を表すものという意味があるそうです。
なので学校の規則に従うという意味で、学生服。
制服ですよね。
服従とか征服とか服用とか服務とか。
それらの意味するところを考えても、規則に従うという意味が見えてきます。
まぁ、規則と言っても色々ありますが。
改めて衣食住を考える
つまり、衣食住。
食と住に関しては分かりやすいですよね。
ここで、衣をただの服と考えるとなんとも寂しい事になります。
幕末から明治の方々が、衣としたのは、自分にとって豊かな心持になれる衣類をまとうという意味も含めているんじゃないかと、私は思います。
そういう事になると、元々の意味、「衣服の心配をせずに済むようになって初めて、栄誉や恥辱を気にするようになる」が活きてくるのではないかなと思います。
事程左様に日本語というものは、昔の人の思いも込められている素敵な言葉なのです。
もちろん、私はこういう日本語が大好きです。
☆私の衣
昨日、松迎えに向かう途中に私の冬手袋が破れました。
この手袋が、私が持つ冬手袋の中で最高レベルの防寒手袋でした。
約25年間使いました。
この愛着のある手袋が、突然パリパリと綻びはじめたのです。
左手の親指付け根が、、、💦
そして右手も、、。
手袋も、頑張ってくれてたんですね。
もう布が限界に来たのでしょう。
「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」
私はこの一件で、昨日松迎えに行く途中の私は、挫折感一杯で恥辱にまみれて帰宅したのでした。
松迎えは明日土曜日にします。
という事で本日はここまで。
最後までお読み下すってありがとうございました。
どうぞ佳き一日をお過ごしくださいませ💐😊