☆文化は連続体だということ
昨日、古代人の青谷上寺朗さんについて書きました。
そこから人のY染色体での父系遺伝と、ミトコンドリアの母系遺伝と話を広めたわけです。
そこでふと気づいたんです。
縄文人がどうの、弥生人がどうのとこれまでにも書いてまいりましたが、どれもこれも記事の流れでちょいと触れてるだけ。
それで昨日のような記事の場合に、縄文人ってザックリこうだよ、とかそういう記事が無いのでリンクが貼れないんです。
そこで今日は、植物教育に大きく関わってくる縄文文化(人)や弥生文化(人)について、まず大まかに書こうと決めました。
え~、縄文や弥生だなんて大昔の事じゃん!って思われる方も多いと思われますが、文化と言うのは連続体です。
あの時代があって、この時代が生まれ、今につながっている。
特に日本は、本当の意味で他国に侵略されずに来ておりますから、そう言った文化の連続体が色濃く残っているわけです。
あまりに普通の風景なので、私たちが意識していないだけで。
ということで、参ります。
縄文と弥生。
それで一度に書くと長文になりますので、絞って今日は、縄文に焦点。
☆縄文以前
縄文時代の前は、旧石器時代。
この時代は、今から1万6千年前までを指します。
特徴では、一定の住み家を決めずに、移動しながら狩猟採取という生活というのが挙げられます。
そしてこの時代の終わりごろには、人類は石器づくりの技術も上がり、原始的な家も作られ始め、犬の家畜化もこの頃から始まっています。
また、原始的な釣り針や、矢じりの開発。
そして、芸術の始まりと言われている、壁画も描かれました。
日本での週石器時代の痕跡は、北海道から九州まで、広く発見されています。
☆縄文
さて、その旧石器時代が終わり、縄文時代が始まります。
と言っても、今の元号みたいに、この日から縄文時代が始まったというハッキリとした線引きはできません。
時期としてはおおよそですが、今から1万6千年前から、2千3百年前あたり。
この1万4千年間(諸説あり)が縄文時代とされています。
以下では、旧石器時代と比較して縄文と言われる「時代」「文化」「人」の面に分けて簡単に見て行くことにします。
縄文時代
1万6千年前から、2千3百年前の期間を世界史で見ると、中石器時代とか新石器時代と呼ばれる時代区分です。
ところが、日本では独特の文化が発達し、縄文時代とも呼ばれています。
さてこの時代、一番大きな出来事は、気候変動です。
気候が大きく移り変わるんですね。
氷河期と言うのが地球のサイクルとして繰り返し来ますが、最後の氷河期の終わりが1万3千年前から1万年前あたり。
この3千年間は、物凄く暖かい期間と、物凄く寒い期間が繰り返し来てるんですね。
超巨大な波のような三寒四温だと思ってください。
縄文の針葉樹と広葉樹
それによって、氷河期に強かった針葉樹が減り、広葉樹が増えてきます。
針葉樹と言うのは、葉が針のように細い松とか杉とか。
広葉樹と言うのは、葉が広い桜とか銀杏とか。
広葉樹には豊富な木の実が付きますので、食生活も変わってきます。
蒸す、焼く、煮る。
そこで調理器具が必要になって来る。
それで産み出されてきたのが、縄文土器です。
また、広葉樹は落ち葉が出ます。
落ち葉は、土壌菌を豊かにし、土を栄養豊富に変えますのでさらに植生が豊かになり、動物も増え、川の栄養も増え、それが海に流れ込み、魚介類や海藻類を豊かにします。
そうなると、旧石器時代のように狩猟採取場を移動していくために非定住である理由がなくなる。
そこで、生産物の豊かな土地に定住していくようになるんですね。
照葉樹について
ところで、照葉樹というのも重要な言葉です。
照葉樹とは、落葉することのない広葉樹。
これは、葉の表面が照り光るような作りになっているのが特徴。
この照葉樹林が、縄文時代の日本の多くの部分を占めていたという事が分かっています。
ところが、1982年の環境庁発表によると、照葉樹林が日本国土に絞めている割合は0.6%と言う報告がなされています。
そしてさらに現在では、1.2%までに減っているという報告もあります。
私はこれがとても残念に思います。
照葉樹林は、針葉樹より根が深く、水資源の確保に大きな役割を担っていました。
これが減っているという事は、日本の水資源が見えないうちに衰えているという事も表していますから。
そしてまた、森の豊かさが失われているという事でもありますから。
この照葉樹の代表的なものには、シイ、カシ、ツバキ、タラヨウなどがあります。
もし散歩されてる途中にこれらの木を見かけた場合には、是非いたわってあげてください。
縄文文化
さて、前にも申しました通り、気候の変動によって植物相が変わっていきました。
植物が変わると、それに伴って陸上動物も水生動物も、昆虫も変わってきますね。
そうすると、人の食事も変わり、調理道具も必要になってきます。
さらに採取や運搬、保存などのために他の道具も必要になる。
そこで生まれたのが縄文土器。
この土器の表面に縄の痕を付けて装飾したので、時代に「縄文」と言う名前が付きました。
ということはつまりこの時代、もう既に植物繊維で編んだ縄があったという事も示しています。
さてこのように周辺の自然から食料が頂けるわけですから、ここで人の心に、自然への感謝というモノが生じるようになりました。
そこで形作られ根付いていったのが自然崇拝、神道(神社)の原型です。
現代でも私たちが、初日の出を拝むのも、富士山に手を合わせるのも、森の巨木に注連縄が張ってあるのも、正月の松飾りも、ここが原点なのです。
一方、照葉樹林文化という物があります。
これは、照葉樹が豊富だった時代に、その恵みを受けて発達した文化の事ですが。
これは日本国内に留まらず、照葉樹林の発達していた東アジアの各地に広く見られる文化です。
どういうものかと申しますと、時代は縄文よりさらにのちの時代になりますが以下の事が代表的なものを挙げておきます。
大豆発酵から生み出される、味噌や醤油。
水にさらして灰汁(アク)を抜くコンニャクやワラビ粉、クズ粉。
サトイモや長イモの栽培。
でんぷん質の穀物の栽培。
絹の衣類。
お祝い事に、赤飯や甘酒を用いる事。
魚の姿のまま発酵させた馴れ寿司。
こういったものは、照葉樹林の有る東アジアの各地で見られる共通の事であり、それで照葉樹林文化と呼ばれ、研究が進められています。
今後新たな発見や発表があると思いますので、本当に楽しみな分野として注目しているところです。
縄文人
先述の通り、食料は周辺の自然の恵みを頂くわけですから、争いが少なく平等。
一説には、男女も平等だったとあります。
縄文人の特徴は、顔の彫りが深く二重まぶた。
手足が長く筋肉質で毛深い。
鼻が高くて唇は厚く、歯のかみ合わせが良い。
それで日本列島は南北に長く高低差もあります。
そこで南の方、さらに沿岸部の縄文人ほど体格が良かったという事が報告されています。
これは発掘された骨や遺跡で分かるんですね。
やはり南の温暖な地方や海岸部の方が、北の地や山間部よりも食料が豊富で手に入りやすかったという証とのことでした。
ところで今でも、お蕎麦が好きな方、スイーツでモンブランが好きな私、お刺身や回転寿司が好きな方、いらっしゃいますが、原点は縄文の食生活です、はい。
※モンブランケーキはもちろん縄文には有りません。焼き栗、茹で栗ですよ、正確には。
また耳飾りや腕輪などの装飾品も豊かだったようですね。
生活は日の出と共に起きて、日の入りと同時に寝る生活。
日中の活動は、男は狩りで、女は採取。
そして採取からの栄養補給の方が安定的でさらに、大部分を占めていたようです。
なので女性の活躍がとても大事な時代だったとも言います。
衣類は季節に応じて変えていました。
北国では動物の皮で作られた防寒靴も発見されているんですよ。
また歩行困難な仲間や老人を共同で助けて、けして見捨てなかったという長期生存の形跡もあちこちから発見されているとのことですから、相当平和で助け合い精神の高かった社会を作っていたようですね。
これらを見てみますと、縄文人から現代の私たちに今も受け継がれている、日本人たる精神の原点が見えてきますよね。
気候変動による植生の変化から始まった環境変化。
そこから恩恵を受けて活かされていた縄文人の、自然への感謝。
こういう大切な心根は、これからも大切に次の世代へ手渡していきたいものであります。
という事で本日はここまで。
最後までお読み下すってありがとうございました。
どうぞ佳き一日をお過ごしくださいませ💐