☆おせち料理
昨日、お屠蘇について話しましたでしょ。
そうしたらやはり、気になってきたんです、おせち料理。
そこで今日は、その話。
私は九州の田舎で育ちましたから、成人になるまで居たんですね九州に。
その九州の私の里では、おせち料理は煮しめとイナリ寿司でした。
若い頃はね、ですからツマラナイ料理でしたね。
ステーキとか高級ウインナーとかラーメンとかカレーライスが食べたい。
そんな感じで、興味はありませんでした。
しかし、離郷して色んな土地でお正月を迎え、初めておせち料理にも色んなのがあるんだと知ったんです。
数の子、黒豆、伊達巻、かまぼこ、昆布巻き、栗きんとん、海老、鯛、紅白なます等。
地域によっては微妙な差はありましたが、基本はこういう感じですかね。
すると段々年を重ねるにつれて、体調に合ってくるんでしょうか。
ステーキだ、ウインナーだ、ラーメンだなどは食べたくなくなる。
カレーも良いけど、おせちもね♪という気分になってきた。
そして60歳超えたらもう、おせち料理がありがたくてありがたくて。
そこで今日は、おせち料理って何?という事を改めて調べてみました。
☆歴史
おせち料理、漢字で書くと御節料理。
節目の料理なんですね。
発祥は、弥生時代とも言われています。
また、縄文と弥生ですね。
< お正月の松の話②
狩猟採取文化の縄文時代から、稲作が大陸から入ってきた弥生時代に移って行きました。
これは一気に起こる事ではないですよね。
縄文の日本に、徐々に弥生文化が拡がって行ったイメージです。
受け身で自然の恵みを頂いて生活していた縄文。
積極的に稲を栽培して、技術として生産物を得はじめた弥生。
弥生時代には、大陸から暦も伝わってきましたから、年の変わり目という概念も伝わってるんです。
ここで原型が形作られ、平安時代に入ると行事として定着していきます。
ここで自らの技術で得た収穫物を、カミに捧げる神事が起こります。
年の節目に供えるから「節供」となるわけです。
こうしてみると、大陸から伝わってきた様式が、日本古来の縄文文化と緩やかに結びついて、独特の形に落ち着いたことが想像できますよね。
☆五節句
節供は、つまり年の節目にカミに感謝と祈りを込めてカミに捧げものを備える行事です。
この節供には、今よりまだまだあれこれあったと言う事です。
それが江戸幕府で、五節句に絞られました。
その五節句がこちら。
1月7日が「人日の節句」(じんじつ)
3月3日が「上巳の節句」(じょうし)
5月5日が「端午の節句」(たんご)
7月7日が「七夕の節句」(しちせき)
9月9日が「重陽の節句」(ちょうよう)
☆五節句のもう少し詳しい話
この五節句にそれぞれ、節句料理と言うのがあるんですね。
それぞれに見て行きましょう。
・人日の節句
松の内の話をしたときに、その期間が1月7日のところもあると書きましたが、本来の松の内の終わりは1月20日。
つまり、松の内1月7日終わりのところは、この人日の節句が影響しているのだと思われます。
さて、ここの節句料理は何かと申しますと、そうです、七草粥ですね。
日本古来の若菜摘みの風習とも重なって、一年の無病息災を願う日となりました。
そこで人日の節句を、七草の節句ともいうのです。
・上巳の節句
心身を清め、災厄をはらう日が元々の意味だそうです。
上巳の「巳」は、干支の蛇ですから、脱皮のイメージですね。
それが女の子の成長を祝う祭りに変化しました。
雛人形。
人形は、本来「ひとがた」と読んで呪詛を行うものです。
これが雛人形として、わが身わが子に降りかかる災厄を代わりに受けてもらったんでしょう。
また、上巳の節句は桃の節句とも言います
これは「桃」の、たおやかなイメージを重ねたものでしょうね。
上巳の節句料理は、菱餅、ひなあられ、白酒、ハマグリのお吸い物・ちらし寿司。
・端午の節句
こちらも邪気を払う節句です。
こちらの節句料理は、もともと菖蒲酒。
この菖蒲が勝負にかかり、立身出世をイメージし、心身を守る鎧兜(よろいかぶと)を重ねて武者人形が飾られるようになりました。
そこでこちらは、男の子の成長を祝う祭りとして定着。
端午の節句料理は、柏餅や粽(ちまき)ですね。
・七夕の節句
「星まつり」とも言われますね。
原型は、中国大陸の織姫彦星の話です。
これが日本では、この時期、五穀豊穣を司る神様が身に着ける衣を織りながらお盆を待つという風習があったそうです。
この、神の衣を織る機織り(はたおり)機が「棚機(たなばた)」なんです。
それで七夕(しちせき)の節句を、七夕(たなばた)と読むようになったんですね。
それで。
七夕は、女性の針仕事の上達や、芸事や書道の上達を願う祭りでもあるんです。
さて、七夕の節句料理は、そうめん。
植物は、竹。
別名、笹の節句。
・重陽の節句
無病息災を願う節句です。
上巳で飾った雛人形の虫干しも行います。
「9」が陰陽思想の陽数(奇数)の極であることから、陽が重なるこの日を重陽と呼んだという事です。
それで、陽が重なると陽の気が強すぎて不吉。
なのでそれを払う行事として重陽の節句が執り行われていたようです。
この重陽の節句を行う事で、禍が転じて福となり、健康と長寿と実り多い人生を願う日となったんだそうで。
こちらの節句は別名、菊の節句。
この時期に咲く菊が美しく、また薬効もあったことからこの名が付きました。
重陽の節句料理は、菊酒、これは菊の花を浮かべたお酒の事です。
また、栗ご飯も節句料理として挙げられます、こちらは秋の収穫を重ねて。
☆御節(おせち)料理
さて話は戻って御節料理。
元々この五節句料理というものがあったのです。
そして、徐々に五節句料理の風習も廃れていきました。
ところが、やはり元日だけは別格特別な日だろうということで、人日の節句料理が元旦に移動して、今の御節料理となったらしいんです。
こうして、時代と共に五節句も、上巳のひなまつりと端午の子供の日が残るぐらい。
少し詳しく申しますと、重箱に詰めるようになったのは明治時代。
平仮名で「おせち」と呼ばれるようになったのは、第二次世界大戦後、デパートの販売でそう名付けて売り出されたのが切っ掛けだそうです。
段々派手になって行って、後付けで各料理の意味が添えられていったのも、時代ですよね。
今日も最後までお読み下すってありがとうございました。
どうぞみなさま佳い一日をお過ごしください💐