お茶の子さいさいと、のんのこ節②

のんのこ踊り 喫茶~言の葉
この記事は約6分で読めます。

< お茶の子さいさいと、のんのこ節①より続く

1月2日に前の記事を書いて、その翌日には続きを書く!などと申しましたが。
やはりお正月、色々と話題に事欠きませんで、そちらを優先させていただきました。
という事で今朝はいよいよあの話の続きです。

☆「さいさい」とは何か?

のんのこ節

前回の記事で、「お茶の子さいさい」の「お茶の子」について書きました。
さて今回は「さいさい」とは何であろうか?という話です。

これは一般的には、長崎地方の民謡「のんのこ節」から来ているとされています。
これがまた良い謡(うた)で、その中に「のんのこさいさい」という囃子詞(はやしことば)が出てくるんです。
さて、ここで一般的な話で終わっては面白くありませんので、探ってみたいという気持ちが芽生えましたので、一歩踏み込んで調べてみますね。

のんのこ節は、長崎県の諫早地方の民謡として始まったというのが通説です。
小皿を両手に持って打ち鳴らしながら踊るのだそうです。
その諫早から距離的にすぐの長崎市へ伝わって形を少し変えたのが、「長崎のんのこ節」だと言われています。
のんのこ踊り

この長崎のんのこ節の一番に、箱根山の芝という歌詞が出てきます。
これでこの民謡が、江戸時代の参勤交代が関わっているのだろうなと容易に推察できますよね。
長崎の歌に、遠い箱根と諸国大名とが出てきますし、やはり箱根と言えば江戸時代、一番の関所があった場所ですから。

、、とここで諫早市のサイトを調べていたら、ハッキリと参勤交代のエピソードから即興で生まれた謡が発祥と書いてありました。
なんだ~~最初っから諫早のサイトを調べれば良かった、、、。
今の気分は、、、のんのこさ~いさいであります。
< のんのこ諫早まつり 公式サイト
島原

のんのこ節の一番の歌詞

ここで、のんのこ節の肝である一番の歌詞を見てみましょう。

「のんのこ節1」

ハァ~ 芝になりたや
箱根の芝に ヤ~レ
諸国大名の 敷芝に
のんのこさいさい
シテマタサイサイ

普通に見ると、箱根山に生えている芝になりたい、諸国の大名が踏みしめて通る敷かれた芝に、とこういう意味になります。
分かったようで分からない。

しかしこの芝を、司馬と置き換えた場合、意味合いがガラリと変わります。
司馬とは古代中国では群の馬を管理する役職。
ひいては軍の最高司令を意味することもありました。

つまり。
江戸幕府との間にある最大の関所「箱根山」
ここの司馬になりたい。
諸国大名に関わる指揮司馬に。
こうなるのです。

ひいては、江戸との行き来をもっと楽にして長崎をより繫栄させたいという願いも見える気がしますよね。
箱根

江戸の言葉遊びの粋

江戸時代にはこうした二重句や言葉遊びが大きく花開かせた時期でもありました。

ちなみに江戸で大流行りした烏賊幟(いかのぼり)
これが屋根に落ちて大変危ないというので幕府は烏賊幟禁止令を出しました。
でもそれで、烏賊幟は無くならなかったんですね。

それにはこんな背景があったという事は歴史資料でも証明されているんですが、分かりやすく申しますと、以下のイメージです。

役人が咎めます「これこれ烏賊幟は禁止であるぞ!」と。
すると町民が振り返って言います。
「てやんでぃ、これは烏賊なんかじゃねぇぞ」
役人がムッとして問い詰めます。
「それが烏賊でなければ何なのじゃ!!」
「蛸(たこ)に決まってるだろ!」

江戸時代はこういった頓智(とんち)がお役人にも通じたのでしょう。
こうして烏賊幟は、凧と呼ばれるようになりました。
これは本当のお話です。
凧あげ

のんのこさいさいと、尾鷲節

幾つかの資料を読みますと、江戸の町に「のんのこさいさい」もしくは「のんのこ節」が流行ったという事が載っております。
詳しい事は書いてないのですが、長崎の民謡がなぜ江戸で?と疑問が生まれまして調査は深みに入っていくことになりました。

なんでも、江戸の町に流行った謡は「のんのこさいさい節」というのだそうです。
諫早のんのこ節かなと思って調べを進めると、どうもそうでもない可能性も出てきました。
江戸っ子が箱根の芝を、何を好んで歌うのかがまず初めの違和感でした。
三味線

そしてここで、面白い発見がありました。
諫早のんのこ節よりも古い時代に作られた謡に、既に「のんのこさいさい」があったようなのです。

この謡ができたのが、なんと江戸幕府成立以前、豊臣時代の終焉の頃だというのです。
その謡の名は「なしょまま節」。

これは、大坂夏の陣で豊臣側に付き敗走して、尾鷲に落ちのびた真田方が歌った謡だといいます。
この「なしょまま節」が現在の尾鷲節となっているんですが、この囃子詞にしっかりと、「のんのこさいさい」とあるんですね。
この事には、諫早市美術・歴史館館便りのいさはやの民謡でも、川内知子さんという方が触れておられました。
< 諫早市美術・歴史館館美歴便り№13 いさはやの民謡

この尾鷲節が地理的にも近い伊勢神宮界隈で(お伊勢参りで全国から詣で客が集まった)流行り、そこから江戸にも伝わり、そこから箱根山経由で諫早にも伝わったという事が、私には一番腑に落ちるのですが、皆さんはいかがでしょうか?

(ヤサホラエ~ ヤサホラエ~)
尾鷲良いとこ 朝日を受けて
ヨイソレ
浦で五丈の網を引く
ノンノコサイサイ
(ヤサホラエ~ ヤサホラエ~)
尾鷲

☆結論

「のんのこさいさい」という言葉はこうして、諫早にせよ尾鷲にせよ、江戸の町と大きく関わっていた民謡だろうという事が見えてきました。
いずれにせよ、ノンノコサイサイという囃子詞は江戸の町で耳馴染みの言葉であったようです。

つまり「さいさい」は、尾鷲節がお伊勢参り経由で江戸でも流行り、定着した音韻だったのでしょう。

そこで言葉遊びが盛んだった江戸で、「のんのこ」に「お茶の子」を掛けて、「お茶の子さいさい」という言葉が生まれたのかなと思われます。
蛇足ながらこういうのを「もじる」と申しますが、これは「文字いじり」からきた言葉です。
面白いことに、日本語には文字いじりが沢山潜んでいます。
ですので、時間の空いた時にボケ~っとしながら各所で息をひそめている「もじり探し」するのが、この歳になっても好きな私です。
見つけた時は、本当に楽しい気分になれますよ。

まぁあちこちにと脇道に逸れましたが、、。
軽くに食べられる茶菓子に、尾鷲節の囃子詞を重ねて生まれた常套句。
これが今回の、「お茶の子さいさいと、のんのこ節」調査の私の結論です。

お茶菓子

余談ながら。

一部には、お茶の子が茶菓子ではなく、茶粥ではないかという意見もありました。
この茶粥は1200年の歴史がある食文化です。
江戸の町では、少々水分をとばした奈良粥が好まれたようです。

また、茶の子餅という、お伊勢さんで一級禅師も頂いた餅があります。
この餅は、ご飯前にササっと頂く餅だという事ですが、これに関してはもう少しジックリ調べてみたいですね。
茶の子餅

この粥と餅の二つがもしかして、言葉の何やかやでお茶の子の部分に関わった可能性がありますが、もうこれ以上調べると私の次の予定に差しさわりが出てきますので今回はこれでおしまいにします。
あ~あ、お茶の子さいさいとはいかなかったなぁ、、、。
結構大変でした。
締め太鼓
という事で本日はここまで。
最後までお読み下すってありがとうございました。
どうぞ佳き一日をお過ごしくださいませ💐😊

Ψ~ 緑の命 ~Ψ
執筆者
毎日をワクワクに変える植物教育研究家
kazuhiko
略歴
園芸の生産・流通・販売・教育と多岐にわたり都合45年勤務。
植物がもつ癒し力や、ちょっとミステリアスな植物の物語を、色んな年代の方に届けています。

現代は、デジタル時代。毎秒おしよせつづける情報に、私たちの脳は、年中無休の疲れ気味。 そこで身近な植物を使った、効果絶大わずか5分の、カンタンな心身癒しをご提案中♪
喫茶~言の葉
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