☆超偏食小僧だった私
表向きは一人っ子として育った私は、甘やかされて生意気に育った。
今、人生を振り返ってみると、恥ずかしい限りである。
なにしろ、卵焼きと沢庵とお米しか食べなかったのだから。
まぁ、わがままで偏食で、偏食となれば病弱となる。
だいたい人の健康は、卵焼きと沢庵とご飯では形成できない。
しかし幼児期の私は、健康より卵焼きと沢庵とご飯が人生の最重要な価値観だったわけ。
こういうのを世間一般では、小生意気という。
病弱だった私でも、小学生にはなれた。
病弱で小生意気となれば、当然イジメの対象となる。
毎日の集団イジメにあっても、根がわがままで小生意気だから、みてろよいつかウルトラマンになってお前たちをスペシウム光線で一掃してやるという一念で六年間耐え抜いた。
そう。
私はわがままで生意気な上に、アホでもあったのである。
集団からのイジメもきつくはあったが、それより何より小学校での私の最大の恐怖は、給食だった。
当時は食べ終わるまで、昼休みももらえなかったのだから。
そういう時代だった。
☆大人への階段
給食。
最初はまだ脱脂粉乳。
これはすぐに好きになった。
そしてパン。
まぁ喰えなくはない。
パンについてくる餃子や納豆のタレみたいな小さなパックに入ってくるマーガリンや日替わりジャムは、パンを食べた後にそれだけを吸って飲んだ。
しかし最大の障壁は、オカズと称する日替わりのメニューである。
とにかく小1の頃は毎日が地獄。
そこから少しづつであるが、食べられるものが増えていった。
食べたい物、ではない。
食べようと思えば食べられる物、これが増えていったという事である。
こうして、どうしようもなかった私の食生活は、改善への種まきを小学校での給食で受けていったのである。
☆意識変化
小6の夏休みから急に背が伸びて、卒業までの半年で1対多数でついには大喧嘩して連戦連勝。
気持ちはウルトラマンだから、負けるわけがない。
まだスペシウム光線は修行が足らず打てなかったけれど。
そして中学生になり、保健体育の料理実習で、たまたま私の目玉焼きが一番上手だった時がある。
それを着任したての先生がとても褒めてくれたのだ。
褒められれば、自信が付き興味も湧く。
そこから食べ物が、自分の健康にどんなふうに役立つかを自ら進んで学習してったっけ。
そう、私にとってあの目玉焼きが、人生の大きな分岐点の一つ。
だから教育も先生も、とても大事だという事だ、誰の人生においても。
ここから少しずつ自分の食生活改善をしていき、たまに料理して家族や親類に振舞うようになっていった。
こうして病弱だった私は、中学の三年間ですっかり健康になり、食事を作るのも食べるのも好きになっていったのだ。
改めて、保健体育のフキコ先生に感謝申し上げる次第。
☆私のゼットン
私のヒーロー、ウルトラマンが勝てなかった相手がいる。
その名は、ゼットン。
この宇宙恐竜ゼットンは、放送の最終回に登場し、ウルトラマンの命を奪ってしまう。
1兆℃の火球を吐く、最強の敵である。
そして私の食生活にも、ゼットンは居る。
それは、煮た大根だ!
どれぐらいゼットンかというと、写真を見ただけで私は吐ける。
今、吐いてしまった。
嫁は結婚後一切煮大根を食べてないそうで、おかげで私は今、こうして生きていられると断言しても構わない!
そしてこの私の煮大根嫌いについては、長年、私の友人知人の間でも謎だそうで。
どうしてあんなに美味しいものが嫌いなの?と誰もが聞いてくるが、そんなものに理由はない。
嫌いだから嫌いなのだ!!!
理由がないとは言っても、原因は何となく分かっている。
前世で、村祭りにみんなのためにと大鍋で大根を煮ていて、誤ってその鍋に落ちて命を落とした村人Aだったんじゃないかなぁ。
それが私の今のところの結論。
☆大根と私
煮大根も沢庵も、元は同じ!
勘違いしていただきたくないのだけれど、私は大根を憎んでいるわけではない。
確かに煮大根は天敵なのだけれど、沢庵は子供の頃から好きなのだから。
大根自体が嫌いなわけではないのだ。
大根葉の漬物に至っては大好物ときている!
この点からも、やはり村人Aの悲劇は実際に起きたことなのだろう。
そんなふうに。
微妙な食べ物であるが、これまで煮大根派閥に属していたのが「切干大根」であった。
もちろん、私にとって、という話。
切干大根と厚意
先日、叔母から贈り物が届いたという話を書いた。
< 「今生」という人生観
その贈り物の中に、実は一袋の切干大根も居たのだ。
これはどれぐらいの衝撃かというと、我が家の鳥食堂(バードテーブル)のシジュウカラの群れに混じって、メフィラス星人が窓からじっと私を覗いていたような破壊力であった。
しかしこれは、叔母の厚意だ。
捨てる訳にもいかない。
とりあえず、もしかして大丈夫かもしれないと思い、袋を開けて匂いを嗅いでみたが、、、やはり駄目だ。
やはりゼットン一派だったようだ。
危うく吐きそうになってしまった。
夕方帰宅した嫁に相談すると、開封しなきゃ職場の友人にあげたのに~と言われ、なるほどそれはそうだと思う。
とりあえず臭いのでジップロックを二重にして封印し、対決は翌日に。
六十一年目の和解
人は一晩眠れば、何とかなるものかもしれない。
私の前世の記憶、村人Aが語り掛けてきた。
「私が命を落としたのは、煮大根の大鍋です。切干大根は無実です。」と。
そういえば、私が切干大根を嫌っている理由は、よく考えれば煮料理として出されることが多かったからだ。
それでゼットン一派だという烙印を押してしまっていたのだが、、、。
よく考えると沢庵の仲間なのではないか?
そこで私はジップロックから取り出し、匂いを嗅いでみた。
こんな呪文を唱えつつ。
沢庵の仲間
沢庵の仲間
沢庵の仲間
これは沢庵の仲間、、、
ん?
、、、許せる香りの範疇ではないか!
これを人は、悟りという。
そこで、水で戻して。
絞って。
本能に従って味付けを重ねていった。
醬油少々と白だし少々。
それに、オカカとスリゴマ混ぜたら、香りが良くなった。
これはいけるかもとこれまでの苦手意識に、九州で普通に売られている朝鮮漬けの素をふりかけて。
その上たまたま、昆布茶の粉が余っていたのでそれをかけたら。
おお!
沢庵とキムチの中間。
美味しい!!
叔母さん美味しいよ!!!
こんな風に61年5ヶ月を過ごしてようやく昨日、私は切干大根と和解できたのだ。
それもこれも叔母の贈り物のお陰。
それが嬉しくて今日は、小説風ブログにしてみた。
☆昨夜のこと
その後調べたんです、切干大根の事。
体に凄く良いんですね!
次々と出てくる効能に、ただ驚いてました。
なので夕方。
仕事を終えて帰宅した嫁さんに一部始終を伝えましたら、こう言われました。
「前から栄養あるよって言ってるのに、俺には関係ないって言ってましたよね。」
、、、あ、、そうでしたっけ???
念のため、村人Aにも確認してみましたが、思い当たらないと言ってましたけれど、、、。
という事で本日はここまで。
最後までお読み下すってありがとうございました。
どうぞ佳き一日をお過ごしくださいませ💐😊