☆養蚕について考える
着物
人生の大先輩の形見として、私が着物を頂いたのが数年前。
本当に本当にお世話になった方でしたから、ただ仕舞っておくのはダメだと思いました。
そこから着付けの練習。
そしてせっかくなので、着物の歴史などを調べてみました。
和服というのは明治に生まれた言葉で、当時西洋から「洋服」が入ってきたのでそれに対して、和服と言われるようになったのです。
なので和服の、本来の正しい呼び方が、着物です。
そして古い時代の日本には、唐の着物という事で、漢服というものもあったそうですね。
さて、着物の中でも呉服と呼ばれるものがありますが、こちらは呉の時代に日本に渡ってきた繊維の織り方で作られた着物という意味で、絹織物を指します。
そして着物の中で、正絹(しょうけん)と呼ばれるものがありますが、こちらは絹100%で作られた着物という意味。
大変上質な高級品ですね。
絹
絹というのは、上品で、光沢があって、やわらかで、湿気も吸う一方で湿気を発散させますのでサラッとした肌触り。
衣類としては、夏は涼しく、冬は暖かいという優れモノです。
この絹が日本に伝わってきたのは、稲作と同じ弥生時代と言いますから古い。
この時期を古代中国大陸で見てみますと、漢王朝の時代に重なります。
当時、世界中を見渡しても、この漢王朝だけで作られていたのが、絹織物つまりシルクです。
つまり当時は今以上に価値のある織物でしたので貿易の対象となりました。
そこで西欧との貿易ルートとして形作られていったのが、かのシルク・ロード。
またこの時期に、そのシルクの一部が、東にある日本に渡って定着したとされています。
絹と蚕
さて、絹の糸は、蚕(かいこ)から作られます。
蚕は、カイコガ(蛾)の幼虫。
つまり、当時、漢王朝だけにカイコがいたということになりますね。
だから漢王朝では、カイコを国外に持ち出すことは固く禁止されていたのです。
ところが日本はシルクロードと真逆にありますから、王朝の目を盗んでこっそり持ち出されたということなのでしょう。
カイコだけが持ち出されても、上手く行くはずもありません。
当然飼育技術が必要ですので、あちらの人も日本に定住したのだと思われます。
それからカイコが元々は、クワコ(桑子)という蛾であったことはハッキリしています。
このクワコを、古代中国大陸のどこかで人の手によって品種改良したのでしょうが、どの時点で誰がという資料はまだ見つかっておりません。
※写真は、クワコです。
カイコと人
野性味の無い生き物
さてそのカイコ。
実に面白い生き物なんです。
まず、自分から食べ物を取りに行きません。
人から与えられたエサを食べるだけ。
自然界にもし居たとしても、自分の力で木に這い登る事もできません。
また、木や枝につかまる脚力も無い。
なのであっという間に絶滅してしまします。
なので、自然界に存在しない生き物なのです。
人の飼育の元で脱皮を繰り返し、やがて繭(まゆ)を作って成虫(カイコガ)になりますが、自分で繭を破って外に出てくることができない個体もいるのです。
なんという野性味の無さでしょう。
また、絹を作るための絹糸を作るためだけの生き物ですから、この繭ができた時点で、茹でられてここまでの命という生き物。
なんとも切なくもありますが、カイコの繭は茹でる事で切れずにほぐれるんですね。
繭と絹糸
そのカイコの繭というのは、最初から最後まで1本の糸で作られます。
そこで一つの繭からどれぐらいの絹糸が取れるのかと申しますと、800m~1200m。
太さが0.01mm。
それで、着物1着分の絹糸に必要なカイコの繭は、およそ5000個。
だからこうしてみると、正絹の着物が高級品だというのも納得ですね。
カイコの成虫
さて、ではカイコはどうやって増えるのか?
これも疑問です。
調べてみますと、実はこちらも人の手が加えられるとの事でした。
それはどういうことかと申しますと、先ほどの繭の一部を茹でずにおいて、成虫まで育てるのです。
ただ中には自力で出てこられない成虫もいますので、中の蛹が成虫になった頃に繭の端をハサミなどで切り取り外に出してあげるという方法が採られているようですね。
外に出た成虫には口が無く、食べ物を摂ることができません。
なので交尾後卵を産んで、数日で衰弱死することになります。
このように、カイコとは、本当に人がいないと生きていけない生き物なんです。
☆養蚕農家の思い
古里の話
九州の実家のお隣さんが、養蚕農家でした。
時期になると、高さと広さが半分で長さそのままの体育館みたいな小屋にカイコが一杯おりました。
白くぷにぷにとしたカイコが、私は小さいころから好きで、よく遊びに行ってました。
おそらくですが、数万頭は居たんじゃないでしょうか。
いや十万頭ぐらいか。
その時期、かいこ小屋の中は「ショリショリショリ」とカイコが桑の葉を食べる音で満たされていて、独特の匂いもあって楽しかったことを覚えています。
おばさんから毎年3頭のカイコを頂いて育てていましたが、それも良い思い出です。
あ、そうそう。
養蚕農家さんでは、かいこを「匹」ではなく「頭」と数えます。
それが不思議で、小学生の頃おじさんに聞いてみたんですが、よくわかりませんでした。
みんなそうやって数えてるよ、というのがその答えでしたから。
頭と匹
社会人になって仕事を始めて、色んな町に出向きました。
東京でも京都でも長野でも、やはりカイコは頭と数えられていましたね。
ここでようやくわかったんです。
カイコは人にとってただの虫じゃないから、匹ではなく頭なんだ、と。
ふつう頭と匹は、人間より大きいか小さいかで決められています。
例えば犬。
どちらで呼んでも間違いでは無いそうですが、両腕で抱えられるのは「匹」
両腕で抱えられないのが「頭」となっているようですね。
では、カイコ。
こちらはどうも、カイコは虫ではなく、重要な家畜であるという事から、存在も大きく「頭」と数えるようなんです。
そう言えば日本神話にも、女神が亡くなって、体のいたるところが人間の食料となる植物に変わる中で、頭だけがカイコになったという記述があるのを思い出しました。
これまで、なんでカイコ?変なの!なんて思ってましたが、、そうかそれだけカイコが古い時代から人間にとって大切だったという事を表していたんですね。
今頃納得。
おカイコさん
話は戻って、私の古里ではカイコの事を「おカイコさん」と呼んでました。
なんだか優しい響きでとても好きな呼び方だったんですが、これ、日本各地でそう呼ばれているらしいですね。
カイコに、尊敬や親近感を表す御の字を付けて、更に丁寧・尊敬・敬意・親近感を表す「~さん」を付けて呼ぶ。
養蚕農家さんの思いがここに込められているんです。
カイコが、命を懸けて創り出す絹糸。
これが生活を豊かにしてくれるわけですから。
しかも人がキチンとお世話しないと生きていけない生き物でもあるので、カイコは農家さんにとって、幼い我が子のようなものなのでしょうね。
その上、最終的には途中で命を頂いて糸を取る。
だから、感謝も込められているのでしょう。
おカイコさんの紡ぐ糸と人との歴史も、実に面白いものだと思います。
おカイコさんと、桑
さてようやく植物の話です。
おカイコさんの食べ物と言えば、桑です。
私はここで不思議に思いました。
人の手によって改良され、人の世話なくしては生きられなくなったカイコです。
カイコが桑の葉ばかりを食べるようになったのはなぜか?
もしくは、もともと桑しか食べなかったのか。
理由が知りたくなったのでした。
でももう今日は充分に長いこと書きましたので、その話はまた日を改めて。
という事で本日はここまで。
最後までお読み下すってありがとうございました。
どうぞ佳き一日をお過ごしくださいませ💐