☆熊本の森で見たクモの巣
・楽しい森
旅の終わりに、熊本市内の森を歩いていました。
猫の多い公園でして、至るところに野良猫さんたちが昼寝をしたり。
また、木陰からこちらを観察していたり。
こういう森は実に楽しいですね。
まぁ、野ネズミやリスなんかには迷惑なんでしょうけれど。
快晴でした。
暑くもなく、また寒くもなく、ちょうどよい気温と湿度。
伸びをして見上げるとそこに、雲とクモ。
・クモは益虫です
クモを嫌う人は多いですね。
私としてはちょっと残念な気持ちになります。
あれはですね、あんな格好してますがなかなかどうして頑張ってるんです。
というのも、あちこちに網を張って、適当に虫を食べてくれてますよね。
これを植物の視座で考えると、植物に害をなす虫を食べてくれる、とこうなります。
しかも、クモが植物を食べたり人を食べたりするわけではないのですから、これはもうありがたい。
かなり役に立つ生き物なんですね。
いや、そうはいっても気持ち悪いんだものってんで、薬をかけて殺したりするのはどうにも哀しい。
これを人間の世界に置き換えてみると分かりやすいですよ。
物凄く仕事のできる職人さんが突然裁判所に連れてこられて、裁判官が「どうにもあなたのお顔ですが、私は気に食わないですねぇ」などと告げられ、即・極刑を執行されるようなものです。
こういうのが実際にあったら、たまったもんじゃありませんよね。
だからどうぞお嫌でしたら、ホウキかなにかでサササと巣を壊すといいです。
根負けして彼らの方が離れていきますから。
ちなみにクモには、中空に巣をかける造網性と、巣をかけずに地面を歩き回る徘徊性があります。
それにプラス、地面に中に巣をつくって暮らす地中性もありますね、あ、そうそう、この地中性、これが全てのクモの最初の形とも言われています。
さてここで述べているのは、造網性のクモについて、です。
なにより、一番目立っていますから、普通クモと言ったらこちらですよね。
☆蜘蛛という漢字に込められた日本の感性
・虹色に光ったクモの巣
その熊本の森で、あちこちに巣をかけていたのが、通称、女郎グモでした。
金色の強い糸を張って、獲物を待っていました。
そのクモの巣を逆光で見たら、虹色に光りましてね。
若い頃は分かりませんでしたが、きっと歳を取ってなんにでも感動するようになったのでしょうね。
クモの巣が虹色に光るだなんて、本当にキレイでしたよ。
どうでしょう?この写真では良く分らないですか?
では拡大!
・女郎グモ、、、実は、、、かな?
この女郎グモ。
お女郎さんのように金色の糸を操って、たいへんおしゃれだというのでこの名前が付いたと言われています。
ですがどうも、上臈(じょうろう)が正しいようですね。
こちらも、大奥の最高職「上臈」から名付けられたと書いている方もいらっしゃいますが、私は違うと思います。
上臈ではあるのですが、大奥最高職としてしまうと、名づけは江戸時代に入ってからとなりましょう?
それでは江戸時代以前はなんと呼ばれていたのだろうとか、大奥の最高職とクモにどういう関係があるのだろう、イメージだけの話かしら、と次々疑問が出てきます。
ところが実は「上臈」という言葉は、10世紀まで遡ることができます。
ここで言う上臈とは、別名が御匣殿別当かなと私は思うんですね。
この御匣殿別当、主な仕事は、天皇の衣服などを裁縫する部署のこと。
西暦931年には既に存在していたというのも、重名親王の日記で確認ができます。
私は、この女郎グモ、もとはその複雑でしかも金色に光る糸で巣を編む姿を上臈に重ねて「上臈蜘蛛」と言ったのだと思うんです。
・蜘蛛という漢字に込められた日本人の感性
ここまで書いてきたので、ついでに「蜘蛛」という漢字について。
日本人はなぜ、あの生き物をクモと呼ぶのか?
またなぜ、あの漢字を当てたのか、について考えてみます。
さて、蜘蛛ですが、これを分解すると虫偏と「知」と「朱」になりますね。
この「知」というのは、知恵・知性・識知など。
賢い生き物だなぁという意味が込められています。
では「朱」これが分かりづらいですね。
この「朱」は、クモですから血や体液を吸うので朱色のイメージだと思われがちですが、日本語は深いですね。
漢字は表意文字ですから、その込められた意味を探るのが面白い。
書道、ありますでしょ。
それに朱墨というのがあります。
その朱墨で書いたのが朱筆。
墨書の訂正などをするのに使う筆、つまりお師匠さんなど筆遣いに芸術性を備えた上位者が使う墨の事です。
つまり、中国大陸伝来の書道での「朱」には、芸術性や美術性が求められてるわけですね。
この事から考えると、おそらくですが、以下のように言えるかと思うのです。
蜘蛛に「朱」が使われているという事。
これは、我々のご先祖様方は蜘蛛の巣に少なからずの芸術性を感じていた。
そして、敬意を持っていたことの表れなのではないか。
私はこのように推論しました。
賢い知恵をもって、高い芸術性のある巣をいとも簡単にかける生き物、それが蜘蛛という漢字に込められた意味だと私は思うのです。
・蜘蛛と書いて、なぜクモを読むのか?
最後に、読み方について。
漢字が蜘蛛なら、「チヂュー」なんて読み方が普通でしょ。
でも実際は、チヂューだなんて呼び方をしてる人は、現代ではほとんどいらっしゃらない。
大和言葉の、クモにほぼ統一されています。
これはなぜかとも考えてみたのですが、案外昔の人は、ふと空を見上げることが多かったんじゃないかって思うんですよ。
きっとそうやって自然を身近に感じていたんでしょうね。
そら、このように。
さて本日も、最後までお読み下すってありがとうございました。
今日があなたにとって佳き日となりますように💐