☆牡丹に蝶
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水無月の四枚札
今日から旧暦では六月に入ります。
という訳で、花歌留多(花札)の水無月(六月)の札の図柄と意味のご紹介です。
卯月の六枚札は、以下の通りです。
図柄は、牡丹に蝶、赤短冊、咲き始めの牡丹と、満開の牡丹です。
では以下、それぞれにどういう意味合いが含まれているのかを見て行きましょう。
カス札
六月のカス札の図柄は、牡丹の花です。
片方は蕾も描かれていて、もう片方は満開となっております。
この時間的な差も楽しい図柄となっております。
牡丹の謎
しかしながら、牡丹の花の時期は新暦の四月下旬から五月にかけてです。
どうにも時期が合いません。
なぜわざわざ時期の合わない牡丹の花を、この水無月(新暦の主に七月)に持ってきたのでしょうか?
絶対に意味があるはずだと信じ、私なりに調べて考えてみました。
まず浮かび上がってきたのが牡丹と似たような植物の混同です。
これは先月の菖蒲と同じ視点であります。
< あやめ・菖蒲・花菖蒲・カキツバタの違い
牡丹
まず牡丹について。
唐から薬用として渡来した植物です。
日本文学に最初に登場したのは枕草子。
ただ昭和の半ばまでは種から増やすのみで、芽の出る割合も低く貴重な花(植物)であったと申します。
別名が、花王、花神、富貴草、名取草、深見草、二十日草など。
豪華絢爛に咲いたのち、ハラハラと花びらが落ちて終わるので、人の世のはかなさや栄枯盛衰を昔の日本人は牡丹に見たといいます。
花の時期は前にも書きましたが卯月ですので時期的に二ヶ月も早く、花札で水無月を表すのが牡丹というのはどうにも変なのであります。
芍薬
牡丹の花が終わる頃に咲き始めるのが、芍薬です。
「シャクヤク」と読みます。
文字通り、薬として使われる植物ですが、花も綺麗です。
花は牡丹にそっくりで、一見どちらなのか見間違うほどです。
ハッキリ違うのが、牡丹は低木、つまり丈の低い木なのに対し、芍薬は草です。
花の時期としては5月から6月あたり。
旧暦では卯月から皐月にかけてで、やはり水無月の札の図柄としてはふさわしくありません。
どうにも困りました。
サツキ
そしてここにもう一つ、「サツキ」という植物があります。
これは、現在では静岡県浜松市辺りで盛んに栽培されている早咲きの芍薬です。
(画像はJAとぴあ浜松のHPより)
早咲きなので皐月(さつき)と呼ばれるようになったのでしょうか。
それで早咲きのサツキの後から咲くので、皐月の翌月の水無月には牡丹に似た芍薬全般を絵札にしたという洒落っ気も考慮しておくことにしておきまして、もう少々調べを進めてみました。
立てば芍薬座れば牡丹
都々逸に「立てば芍薬坐れば牡丹 歩く姿は百合の花」というのがありますが、これは美人を表している言葉ですよね。
立っても座っていても、歩いていてもそれぞれに綺麗だという話ですが。
この都都逸は、一方で、牡丹と芍薬は似ていても違う花という話で引き合いに出されることが多いですので耳にされた方もいらっしゃるはずです。
ちなみに都都逸は三味線の伴奏で、七・七・七・五という形で、主に男女の恋愛を歌ったもの。
余談ながら私がなるほどなぁと昔思ったのが、これでした。
恋し恋しと鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす
混同の歴史
このように牡丹と芍薬について見てきましたけれども。
江戸時代でも園芸書などではしっかりと区別されていたようです。
ところが一般では、牡丹からサツキ、そして芍薬と同じような花の開花のリレーを、一つの花の時期と混同していた可能性も考えられます。
これは色のところでもお話ししました「青と緑」や、先述の菖蒲についてなどに見られます。
ただ牡丹と芍薬の混同については、明確には調べられませんでした。
今回は、可能性が高いというところで留めて置くことにします。
六月の短冊札
さて短冊札ですが花札全四十八枚中、十枚の内、六月にも一枚。
それがこちら。
青い短冊なので、青短と呼ばれております。
六月の種札
牡丹と蝶
花札全四十八枚の中に、動物や特殊な図が描かれた重要な札が九枚あります。
これを種札と申します。
六月の種札は、牡丹と蝶です。
花王に胡蝶と呼ぶこともあるそうですね。
花王は前にも申しましたが牡丹の事。
胡蝶(こちょう)は、蝶の別名でもあります。
これまで見て来ましたように、この時期の牡丹というのはあり得ない話です。
そしてそこに描かれた蝶という取り合わせも意味深です。
と申しますのも、花の構造上、蝶類は牡丹の蜜を吸えないからです。
上手く吸えるのはハナバチ類。
つまり水無月の花札に描かれている牡丹も蝶もあり得ない取り合わせだという事です。
そこで私は、水無月と牡丹と蝶の組み合わせの謎を二つの視点から考えてみることにしました。
一つの視点「平家物語」
日本人に愛されている平家物語。
この平家の家紋が、蝶紋です。
一方、平家と深く関わりがあった公家の近衛家の家紋が牡丹紋。
近衛牡丹と呼ばれるものです。
源平合戦後、平家は滅亡し、近衛家は現代まで続いております。
昭和に入り第34代・38代・39代と総理大臣を務めた近衛文麿も、近衛家であります。
こうして考えてみますと、水無月の種札が平家物語を暗喩しているんじゃないかとも思いましたが、それだけでは弱い。
どうして水無月(新暦7月)なのかという点が説明できないのです。
二つ目の視点「江戸の美人番付」
江戸では何でも番付にするのが流行りました。
元々は相撲の番付だったのでしょう。
花の番付もありまして、西の横綱だと東のだのと、相撲のそれそっくりに。
そこで今の時代には不謹慎だとお怒りになる近代的な頭脳を持ったお方も多くなって参りましたが江戸時代はそんな野暮ったいことは言わない。
女性の美人番付も行われていたみたいです。
その番付が出回るのが春から初夏にかけて。
そこでもう一つの視点は、江戸の美人番付です。
蝶も花も、女性の美しさや可憐さを表す言葉というのは江戸時代の昔から平成初期辺りまでは普通に使われていたように思います。
そして水無月。
江戸では美人番付が出回り切った頃。
蝶よ花よとは、親が娘を育てる時の想いを表す言葉ですが、本格的にご贔屓の女性談議に花が咲いたのも水無月あたりだったのではないだろうかとも思えるのです。
つまりそういった風物詩の図案化ではないのかと。
写真は葛飾北斎の、牡丹に蝶です。
三つ目の視点「牡丹灯籠」
さて、最後に、怪談です。
牡丹灯籠。
お露さんが出てくるあの怪談です。
これは明治になってから、噺家の三遊亭圓朝が落語として作り上げたものですが、その元ネタは明の時代の話です。
そこから「牡丹燈記」として日本に伝わり、江戸時代に確か講談で人気だったと何かで読んだ記憶があります。
いつかしっかり調べて観なくてはと思います。
牡丹燈記を含む各種怪談(四谷怪談や番町皿屋敷なども)が人気演目だったのは、盂蘭盆会(お盆)前。
つまり水無月に入ればそろそろ怪談が楽しめる季節という訳です。
この解釈ですと、蝶は霊魂や神聖なもの、または生まれ変わりの象徴として扱われていましたので、なんとなく筋道が通るのではないかなと思うのですが、、、。
うろ覚えの記憶と共にこう推理してみたのですが、いかがでしょうか?
栄枯盛衰の話
こうして平家物語・江戸の美人番付・牡丹灯籠と見てきましたが、共通点があります。
冒頭の平家物語は顕著ですが、その共通点は「栄枯盛衰」だと思うのです。
栄えるものは久しからず
ただ春の夜の夢の如し
どんなに美しい女性でも歳を取り、若さからの美しさも永遠には続かないだったり、、、。
現世でどんな身分であろうとも、必ず死があり、その栄華も財産もそこで終わるだったり、、次の世界に何かが待っているだったり。
生と死
華麗さと凋落と復活
そんな軸が見え隠れしているように思えるのです。
こういう変化球的発想でないと、この時期に牡丹と蝶の取り合わせの意味が見えてこないのです。
とりあえず今回は、想像力と推理の連続で疲れました。
花札六月の言葉遊び
さて、この六月の花札にある言葉遊びは何でしょうか?
ポイントは、「ふ」
答えはこの記事の最後の方に書いておきますね。
☆水無月
最後に、月名について。
陰暦での月の呼び方(和風月名)で、六月を水無月(みなづき)と呼びます。
本州では梅雨入りしているこの時期。
稲をはじめとした植物は一斉に育ち始め、農業にも本当に大事な時期に入ってきます。
梅雨時期なのに、水の無い月というのも変な感じですが。
水無月の無は、助詞の「○○の」という意味です。
なので水無月は、水の月という意味なのです。
また、この月の別名には、水張月(みずはりづき)というのもあります。
こちらもまた、田に水を引いて張るという意味。
こういうところからも、つくづく日本文化の軸は稲作なのだなぁと、知らされる思いです。
さてそういう事で先ほどの言葉遊びですが。
答えは、牡丹の別名「深見草」の「ふ」と、蝶々の古い仮名遣い「てふてふ」の「ふ」で、「ふ」つながりという事でありました。
ちょっとひねりがありましたね。
と言う事で本日はここまで。
最後までお読み下すってありがとうございました。
どうぞ佳き一日をお過ごしくださいませ💐😊