ヤマトの歴史

日本列島 喫茶~言の葉
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☆トンボの話ついでに、一つの推理

大倭豊秋津島

昨日書いたように、古い時代に日本列島の事は、大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)と記されていました。
< 彼岸明けの来訪者

この秋津島は、トンボ島の意味。
そこで、ああなるほど日本列島はトンボみたいに細長い!と思うのは早計。
あの時代は日本列島が全体でどういう形か分かっていませんので。
ではなぜこの国の国名にトンボが出てくるのでしょうか?
そしてその前に来る大倭とは?

ちょっと面白い推理をしてみましょう。
大倭はいったん脇に置いといて、まず豊秋津島について。
日本列島

豊秋津島

日本の歴史は、旧石器時代→縄文時代→弥生時代→古墳時代→飛鳥時代→奈良時代という流れですよね。

そしてこの古墳時代が、ヤマト王朝が統一王朝となった時代。そこでこの時代は、大和時代とも呼ばれています。

一方、大倭豊秋津島の記述は712年の古事記に書かれています。
つまり古事記は奈良時代の書物。

これらの事を頭において豊秋津島を考えてみると、風景が浮かんでくるようです。

まず弥生時代に稲作文化が根付きました。そして大倭豊秋津島との呼称が生まれた古墳時代には、稲作もより盛んになって、より重要な作物という位置付けになっていたはずです。

秋津というのはこの国の古い言い方で、トンボのことです。

そして豊秋津は、大事な稲の収穫時期に、稲の害虫を食べてくれるトンボが豊かに飛び回っているという様子を表しています。

多くのトンボがいるという事は、その分、稲が守られ、豊作となる可能性が高いという事を示しています。つまり、豊作への願いが込められた言葉が、豊秋津なのだと考えられるのです。
稲穂と米

そして島。

これは日本列島と思われがちですが、違います。
古い日本語の島(シマ)には、囲われた場所とか、区画という意味があります。
その名残の一つが、ヤクザ言葉の「シマ」なのでしょう。

こうしてみると豊秋津島は、秋に稲作に大きく関わるトンボが豊かに飛び回る囲われた場所という意味になります。
つまり、そういう場所で、ヤマト王朝が成立したという事を示す言葉でもあるのです。
奈良盆地

ヤマト王朝

そのヤマト王朝ですが、昨年11月に奈良県の古墳発掘調査で、3世紀末の奈良盆地に圧倒的強大な王権があったことが証明されました。

このヤマト王に各地の首長が従い、ヤマト連合政権が形作られていきました。
その範囲たるや、北は東北地方南部、南は九州南部の日向までに拡大して行ったと、古墳などから分かっています。
大和三山

そのヤマト王朝の中心地だったのが今の奈良盆地ですが、ここに和歌にもたくさん謳われている有名な大和三山があります。天香久山(あまのかぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)です。その場所を赤い点で示してみましたが、面白いでしょう。線でつなぐと、山という漢字みたいになりますよね。
大和三山

さらにこの大和三山を囲むようにある山地。
つまり先ほど申しました「島」です。

島(しま)は、締めです。
注連縄(しめなわ)で分かる通り、境界とか、結界とか、範囲とか、枠とか。
ヤマト王朝
つまり、ヤマトは山のふもとに作られた都という意味があったのだと思われます。

余談ですが。
島とは、鳥と山が一つになった漢字です。
これは、海を行く渡り鳥が、海面に突き出した山で羽を休めるところから来たのだとされています。
この島を真上から見ると、海岸線が、海面に現れたある種の境界線に見えます。この境界線の内側が、鳥達が羽を休められる「島」という範囲ということです。

倭(わ)というのは、大化の改新で国号が「日本」となる以前の奈良盆地のヤマト王朝の自称です。
この「わ」と申しますのは、古代の日本語で自分を表す音だそうで。
それが「私」とか「我」や「我々」として残っているのだと聞いたことがあります。

交易があった大陸の方で、当時の日本人達が自分の事を「わ」と呼んでいたので、そこに遠方の国を意味する「倭」の文字が当てられ、ヤマト王朝でも使われ始めたのだとか。
ただヤマト王朝では「倭」と書いて「ヤマト」と読んでいたのです。

またヤマトという言葉は、書物によって「大和」や「山戸」や「倭」や「日本」と書かれています。
これはまず大和言葉の発音があって、そこにまだ不安定だった漢字表記が地域でいろいろぶれていたためと考えられます。

もう一つ、面白いことがあります。
倭の漢字は、分解すると人(にんべん)+禾+女です。
禾(のぎ)は、穀物の実の先端に生えている毛のことで、穀物事態を意味しています。
稲穂と米
女は、次の生命を産む尊い存在であり、頭に穀物を乗せて神に捧げものをする巫女でもあります。
穀物収穫を軸とした神事が統べる人々の国という意味が「倭」に込められているのではないでしょうか?

この倭という表記は、あの大化の改新で刷新され、同じ表音の「和」が当てられることになります。
つまり今に至る、和装・和食・和風の和。
ここで大和となり、日本国の称号が生まれることになります。

ちなみに和は、禾辺に口。
穀物を頂くことで心穏やかになり戦いも減り、平穏な毎日が過ごせるようになるといった言霊であります。
もともと古の時代から私たちの住む国は、こういう願いの込められた名前と共にあるのでしょう。

昨日のトンボから、こんなふうにあれこれ考えておりました。
文献によっては全く違う説もありますでしょうし、こういう古代の事は分かってないことも多いので、皆様も是非お時間の許すときに、あれこれ推理してみてください。
ウスバキトンボ
という事で本日はここまで。
最後までお読み下すってありがとうございました。
どうぞ佳き一日をお過ごしくださいませ💐😊

Ψ~ 緑の命 ~Ψ
執筆者
毎日をワクワクに変える植物教育研究家
kazuhiko
略歴
園芸の生産・流通・販売・教育と多岐にわたり都合45年勤務。
植物がもつ癒し力や、ちょっとミステリアスな植物の物語を、色んな年代の方に届けています。

現代は、デジタル時代。毎秒おしよせつづける情報に、私たちの脳は、年中無休の疲れ気味。 そこで身近な植物を使った、効果絶大わずか5分の、カンタンな心身癒しをご提案中♪
喫茶~言の葉
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