☆今日は、2024年2月29日
閏と言う文字
今日は4年に1度やって来る2月29日です。
この日がある年を「閏年(うるうどし)」と言いますよね。
門の中に王が入って、閏(うるう)。
古代大陸では、この日、王が室内にこもって政務をしない日だったそうです。
本来は、閏年と書いて「じゅんねん」と読むのが正しい。
それがサンズイを付けた「潤う」から、ウルウと読むようになったという話があります。
暦と季節が生まれた理由
このブログでも、春夏秋冬について結構触れますが、植物にかかわりが深い事なので当然です。
では、なぜ季節が生まれるのかと言うのを簡単に申しますと、星同士の関係から生まれます。
つまり、宇宙が関わってる。
普段は意識していないことですけれど。
この辺は、反抗期の人と似てますね。
自分一人で生きていってる、なんて強い自信にあふれる時期ですが、実際は多くの人に支えられて生きている。
そんな事実が見えないのが反抗期なのでしょうね、振り返って自分自身に思い当たります。
季節変化が生まれるのは、地球だけの働きだけでは無理です。
そこには太陽と月の熱・光エネルギーや重力が絡んでいます。
さらに、太陽も月も地球も、自分で回転する自転。
そして、月は地球に、地球は太陽に、と重たい方を中心にその周りを回転する公転。
この自転公転があって、私たちが普段使っている「日・月・年・季節」が生まれてくるんです。
さらに言うなら「秒・分・時」も。
もう一つ言うなら、地球の回転軸が太陽に対して直角では無いので、公転中の場所によって季節が変化します。
それで、私たちが生きて行くうえで、さらに言うなら日本では作物を上手に作るためにできたのが、暦というわけです。
つまり暦というのは、太陽・地球・月の動きを、数字の組み合わせを使って見えるようにした。
そんな、一種の生きた読み物だと言えます。
閏年が生まれる理由
太陽を中心として、太陽の周りを1周する地球の公転は、正確には365.2422日。
つまり宇宙的に見ると、地球の1年は365日では無いんですね。
それよりもちょいと長い。
ザックリ言うと一年とは、365日と約5時間48分になります。
つまり毎年、5時間48分ができているんですね。
そしてそれが、地球上の人の意識と宇宙のリズムとの「ズレ」として、溜まっていってるわけです。
こうしてそのズレが、おおよそ4年過ぎると1日24時間に近い、23時間12分となるんです。
そこで4年に1回。
暦に日を1日増やして、修正してる、これが閏日の意味です。
でも、もっと細かく見ると、これでは4年修正をやっても、48分のズレがまだ残ります。
そこでもう二つ、決まりがあります。
まず一つ目は、本来閏日が来るはずの4年ごとの年であっても、その年が100で割り切れる場合、閏日を置かないという決まりです。
つまり、100で割り切れる年は、閏年とはならないんです。
これが一つ目。
そして二つ目の決まり。
これは、その年が100で割り切れる年であっても、同時に400で割り切れる場合は、閏年とすると言う決まり。
つまりこちらは、例外中の例外という事ですね。
それでこの世にも珍しい例外中の例外が起きたのが、西暦2000年でした。
まさに千年紀。
ミレニアムな出来事だったんです。
この記事を書きながら、当時の日記を読み返していますが、ウキウキしてましたね
何かあの日は楽しかったです。
暦の大切さ
さて、こういう感じで宇宙のリズムが有って、地球のリズムが生まれています。
その地球のリズムに乗って、私達生き物は進化してきました。
人が賢くなって、その宇宙のリズムを数字で表せるようになった。
そこで初めて、人類に明確な時間の感覚が生まれました。
そしてその数字から、植物や動物や周囲の自然リズムをうまく利用できるようになった。
こうしてみると、私たちが趣味にせよなんにせよ、暦を知ることが大切だと分かります。
日本と暦
ちなみに日本では、旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代と、暦という物が無かったとされています。
なんとなく、日の出や気温の変化なんかに対応して生活していたのでしょうね。
それが、具注暦というのが出てきた時から変わったんですね。
この具注暦と言うのは、日本が大和朝廷に統一されて、陰陽寮が出来た。
その陰陽寮が作った、日本で初めての「暦」、それが具注暦なんです。
陰陽寮と名が表す如く、陰陽道で占いなどの面も色濃く反映した暦です。
なので今でも行事など行う時に、暦を気にしたりしますよね。
さてこの具注暦。
これが出てきたのが、現存するのは正倉院のもので西暦746年。
そして日本の元号が始まったのが645年の「大化(たいか)」からです。
この645年から746年の百年の間に、暦が日本に定着して行ったんでしょうね。
なぜなら突然、具注暦が完成するわけはないですから。
つまり、暦の感覚があるから、元号が大化の改新で出てきたのでしょう。
大化の改新から始まったもの
やはりここで大化の改新の645年ですよね。
ここから「日本」の国名が使われ始めたし、元号がついて「歴史」が記録され始めた。
さらに申すなら、それ以前の崇峻天皇で即位が593年。
ここが重要で、592年から始まったのが飛鳥時代なんです。
(本日は奈良飛鳥の写真を多用してお送りしております♪)
その後、推古天皇・舒明天皇ときて、皇極天皇が孝徳天皇に譲位する645年。
この辺は元号がありません。
なので、暦の考えはあっても、暦そのものは無かったと思われます。
ただ、暦は無くても、年号ごとの出来事が記録として残っているという所。
ここに、暦が形作られる香りに似たものを私は感じています。
ということで、2月29日の話はここまで。
最後までお読み下すってありがとうございました。
どうぞ佳き一日を💐