☆雨に柳
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霜月の四枚札
今日から旧暦では十一月。
そこで花歌留多(花札)の霜月(十一月)の札の図柄と意味をご紹介。
ただこの月の札は厄介で、春先や初夏の風景が何故っ重一月のこの札に描かれているのかを明確に説明しているところが無いように思えます。
霜月は、現代で言えばもうすっかり冬です。
柳にカエルが跳びつこうとしているとか、雨に雷だなんて季節外れも甚だしい。
ですので今回は、この謎について自分なりに調べて一応納得できる形に落ち着きましたので書かせて頂きます。
少し長くなりますが、ご興味ございます方は是非、最後までご覧くださいませ。
では、参ります。
弥生の四枚札は、以下の通りです。
ここに描かれているのは、平安時代の貴族で、書の名人である小野道風。
それ以外にカエルと傘とツバメと短冊と雷に、四枚の札共通で柳、です。
では、それぞれにどういう意味合いが含まれているのかを見て行きましょう。
カス札
花札全四十八枚中、二十四枚がカス札。
そして十一月のカス札がこちら。
他の月と比べて、カス札が少ない月で、たった一枚、この札があるのみ。
江戸時代あたりの花札をみますと、ここのカス札は柳だけが描かれているものが多いのですよね>
だからこの図柄は、少なくとも明治初期辺りからの物になるのかなと思われます
柳に雷とか。
鬼札などとも呼ばれておりますが、この事についてはまた後程、お話しようかと思います。
十一月の短冊札
花札全四十八枚中、十枚が短冊札。
三月にも一枚、この短冊札があります。
それがこちら。
古い図柄では、柳の短冊に雨らしきものが描かれているのを見て驚きましたが、今の花札の図柄はその雨も見えず、(色んな図柄があったらしいので、一概には言えませんが)何と申しましても、柳そのものが柳に見えないという不思議な短冊札であります。
十一月の種札
花札全四十八枚の中に、動物や特殊な図が描かれた重要な札が九枚。
これを種札と申しますが。
十一月の種札は、燕(ツバメ)と柳であります。
この十一月に燕というのも可笑しな話ですよね。
第一、燕が日本に渡ってくるのは春。
そして南の方へ帰って行くのは新暦でおおよそ9月ですから。
どう考えても霜月にツバメは日本に居りません。
新暦で申しますと、この札の時期は12月であったりしますので。
ここも、詳しくは後程。
十一月の光札
花札全四十八枚の中に、特に価値の高い札が五枚。
これを光札と申します。
その五枚の内の一枚が、十一月のこの札。
「柳に小野道風」という名前で呼ばれる札です。
何でも江戸時代にはここが、小野道風ではなく、仮名手本忠臣蔵の斧(おの)定九郎であったとも言われております。
合っているのは「オノ」ばかり。
さて画像の図柄にある小野道風ですが、平安時代の貴族で書家。
柳の枝に飛び乗ろうとする蛙(かえる)を、無理だろうと眺めている場面です。
ところがそのうち風が吹いてきて、思いのほか柳の枝が揺らぎ、その拍子に蛙は無事に枝に飛び移ったという事から、書家としての自信を失いかけていた道風が、改めて努力して書家として大成したという伝承に基づいた絵柄。
それでもやはり疑問が残ります。
何故に霜月(11月)かと。
「あはひ」の謎
さてここまで色々見てきましたが、短冊札以外は、季節との結びつきがどうにも分かりませんで。
そこでそれぞれを少し掘り下げて調べてみました。
まぁ花札と申しますのは、元々その名が示す通り、季節ごとの植物が主体です。
そして時代を通して、図柄も、そこに描かれている植物も、時代が移る時に次第に変わっていったようですね。
そして多分、明治に入ってから。
現在の私達が見慣れた図柄に落ち着いたようでした。
だからずっと昔から図柄が変わっていないのではなくて、江戸の息吹を知る人たちがまだ大多数残っていた明治時代初期に、定着したようですね。
しかしなぜ、各植物や動物達に縁遠い旧い十一月に、どうしてこの図柄に定着したのでしょうか?
そこに私は、江戸時代のやがて消えゆく日本人独特の季節感や自然観、そして宗教観が、日本の美学として埋め込まれたんじゃないだろうかと考えています。
今の図柄を考案した方が居て、きっとその方は、繊細な感性の持ち主だったのだろうなと私は感じるのです。
なにより、以下の分からない点を調べていて見えてきたのは、日本の古語「あわい」の存在でした。
では、その「あわい」って何?
その答えは、もう少し後で。
霜月の意味
さて。
まず霜月です。
新暦で申しますと、年によってズレが生じますが、おおよそ11月下旬から、時には年を越えて1月の中旬あたりまでになることもあります。
歌舞伎で申しますと、顔見世興行が行われるのもこの頃でして。
これは歌舞伎役者が今後一年間、ここと契約を結びましたよというお披露目興行のこと。
つまり、新たな区切りとなるものなんですね。
これがまた面白くて、霜月は農作業も一区切りを終え、ご先祖様やお世話になった神様方と一度お別れをしなくてはならない月なのだそうです。
だからかもしれませんが、この月だけはカス札が一枚でしょう。
それも、ただのカス札ではない一枚が。
ちなみにもう一つ。
霜月は来るべき新年に向けて、暦配りが始まる月です。
こちらも、一年の区切りの月だからというので行われる行事であります。
柳の意味
柳は大変生命力が強く、枝をポキンと折って、地面に差しておくだけでも勝手に根が生えてきて育つ木です。
そして水の多く有る場所を好み、しかも根が強い。
ですので良く川沿いなどに生えているのを目にしますよね。
その根っこがしっかりと土手を支え、川の水に削られるのを防いでくれたりします。
その柳ですが、古くから神秘的な力を宿し、根は地中深く枝は空中から垂れ下がるために、あの世とこの世をつなぐ樹木とされてきたようです。
ですので、夏場、柳の木の下に幽霊が出るなんてことも昔は言われていたわけです。
また陸上と川を隔てる境界の木としても、少し神秘的な意味合いを含んでおりました。
そんな柳が霜月の植物として描かれているのは、まだ花札の図柄が現代風になっていない江戸時代中期の花札でもしっかりと確認ができます。
雨の意味
これも、霜月が雨札として定着したのは江戸時代後期あたりからではないでしょうか?
仮名手本忠臣蔵の斧定九郎さんらしき人物が、雷雨の中すぼめた傘を頭からかぶり、柳の背景の中走って行く姿が描かれているものもありました。
斧定九郎は芝居の悪役ですが、大変人気が出たそうで。
私の好きな噺家の、六代目三遊亭圓生さんの中村仲蔵にもありました。
その後、ここが元になったのか。
小野道風さんも傘をさしてらっしゃるし、カス札も雨に雷と呼ばれますよね。
その雨。
天から降り注いで地に落ちる。
垂直の境界でありますし、浄化とも言えます。
区切りである霜月を、更に縦線の動きで清浄にする祈りを込めた雨。
そういうものを取り入れ小野道風さんで品よく仕上げたのが明治以降続いている現代の花札の図柄ではないかと思うのです。
燕の意味
これがまた厄介。
先程も申しましたように、この時期に燕はおりません。
また燕っぽく見えない。
燕がやって来るのは、春、温かくなってからです。
それが霜月の絵を飾るというのは、これは祈りとか、何か呪術めいた意味合いがあるのではないかと思われます。
暖かい季節の訪れと共に南からやって来る燕は、まるで季節到来の使者であり、次の農耕が始まる合図でもあります。
境界樹の柳に、季節の境界を越えてやって来る燕の図。
これは南宋だったかな、そこから日本に渡来し、その後国内で好まれた絵「柳燕図(りゅうえんず) 」に由来するものでしょう。
ここでも、境界・区切りが描かれているのです。
※画像は、徳川美術館の柳燕図より引用
雷(鬼札)の意味
さて、雨に雷とも言われる異形のカス札、これについてですが。
大元は、琵琶湖のほとりにある大津市。
ここで戦国時代から江戸時代にかけて、大津絵と呼ばれる絵画が描かれており、人気だったそうです。
その大津絵の中に、「雷公の太鼓釣り」という絵がありまして。
これは雷様がうっかりと大事な太鼓(雷鳴の元)を地上に落としてしまって、これは大変と雲の上からその太鼓を釣りあげようとしているユーモラスな絵です。
ご興味ある方は、リンクを張っておきますので是非ご覧ください。
「雷公の太鼓釣り」は、大津絵の店のサイトでご覧になれます。
思わず、クスリと笑ってしまうような愛らしい雷様です。
そこでご覧くださいこのカス札。
しっかりと、雷様が落とした太鼓と。
それを釣りあげようとする雷様の鬼独特の鉤爪と、稲妻と雨とが描かれています。
それで海苔巻きみたいなのは、、、、柳ということでしょうか?
この黒い所はよく分かりませんが。
この雷公の太鼓釣りは、どんな名人でも、慢心すれば大失敗するという戒めだそうですよ。
小野道風の意味
さて光札。
小野道風と柳に蛙です。
先ほど申しました通り平安貴族で、書家としての道を進んでいた道風ですが、この蛙をみて自身の励みにしたというお話を基に、義太夫や浄瑠璃、そして歌舞伎の演目として「小野道風 青柳硯(おののとうふう あおやぎすずり) 」というのが作られました。
現代ではもうあまり上演されることは無くなったみたいですが、こちらは道風が、柳に飛びつこうと必死に跳ねる蛙を、無理無理と思って眺めていたのに、ついには無事柳の枝を捕まえた蛙を見て、同じ公家が企てる謀反が実らぬことよと油断してしまっていては、それが相手の企みを成就させてしまうかもしれぬという気付きにつながるという小野道風 青柳硯の場面を花札にしたものだという事です。
それがカス札の、雷公の太鼓釣りと見事に対比になっていて、あちらは油断して落としたものを慌てて釣りあげる様子で、一方道風に蛙は、無理だと諦めなかった蛙の成功を、油断していた道風が見抜けず結果、ある種の学びに変わるという図柄。
方や、天から地へ。
方や、地から天へ。
鮮やかな境界線を描いているようです。
霜月は「あはひ」
ここでもう少し考察を重ねます。
霜月も、柳も雨も燕も雷公も道風に蛙も、ある種の呪術的境界を示しているのではないかと書きました。
雷公や道風は、油断や、思いが至らないと言った心の境界です。
これを、ただ単に境界線だと理解したなら、では霜月は一体何月何日の何時何分何秒からその境界線を越えることになるのか?という発想につながりかねません。
その他も、然りです。
ところがです。
ここが日本的で面白いのですが、まぁ境界線と言ったら、本当に一本の細長い直線をイメージしますよね。
これ、西洋的な発想らしいのです。
それが元々の日本的な発想となると、境界線ではなく「あはひ」となるのだそうですね。
漢字で書くと「間」・「間合」・「合」。
発音は、「あわい」に近い。
「あはひ」は、線ではなく、少々融通の通る少し幅広の線、、、と言いますか、長さを持った面。
だから境界線を越えたらパンと変わるのではなくて、「あはひ」に入ったら、徐々に変化していき、「あはひ」を抜け出る時におおよそ変わっている、、みたいな。
もう少し詳しく申しますと、「あはひ」は日本の古い考え方でして。
それによりますと、異なる二つの世界や状態や存在は決してキッパリとは離れておらず、重なり合い行き来もできるというのです。
そういう二つのものの、重なり合った中間部分が「あはひ」なのです。
描かれた霜月の花札四枚は、いずれも年の区切りの「あはひ」を示しているのだと私は考えました。
だから何故、霜月(11月)の図柄の季節感がバラバラなのかは、これで分かると思います。
全て「あはひ」を表しているので、季節感が合わない。
それは、あはひを示す絵なので、視座が違うのだと。
余談ながら、「あはひ」から派生して生まれた言葉が「淡い」であり、「泡」。
どうでしょう、日本語って凄いと思いませんか。
とまぁ以上、不可思議な花札霜月四枚への、私の考察でした。
花札十一月の言葉遊び
本当に長くなりました、ごめんなさい。
難解な11月札でしたので苦戦しましたが、最後は自分なりに納得できる答まで辿り着けてホッとしております。
但しあくまで、これらは私の推察ですので、ご興味ある方は是非、ご自分でもお調べください。
「あはひ」も本当に、日本人が失ってはならない視方でしょうし、世界にも誇れる時間空間への間隔だと思います。
いけないいけない。
一層長くなってしまいました。
さて恒例のクイズです。
十一月の花札にある言葉遊びは何でしょうか?
ヒントは「ら」
ちょっと難しいですね。
答えはいつも通り、最後に書いておきますね。
☆霜月
最後に陰暦での月の呼び方(和風月名)、十一月を霜月(しもつき)と呼びますが。
ここにも「あはひ」の意味がありまして。
霜は、雨でも無ければ雪でもない。
そして水溜まりなどが凍ってできる氷でもない。
つまり霜と申しますのは、それらの「あはひ」だそうで。
二重三重に張り巡らされた霜月の「あはひ」に驚かされている土曜日です。
さてさて。
先ほどの花札霜月の言葉遊びの答えは、「柳」と「燕」でした。
え?と不思議に思う方もいらっしゃるかもしれませんね。
ご説明しますと、柳の古い呼び方に「奈伎良」というのがあります。
読みは「なぎら」。
そして「燕」は古語で「つばくらめ」。
つまり「なぎら」と「つばくらめ」で「ら」つながりでした。
いやはや。
言葉遊びまで難解だった花札霜月のお話、これにて区切りの「あはひ」。
ようやくお仕舞いです。
という事で本日はここまで。
最後までお読み下すってありがとうございました。
どうぞ佳き一日をお過ごしくださいませ💐😊

