☆梅に鶯
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如月の四枚札
さて今日から旧暦では二月に入りました。
そこで、花歌留多(花札)の如月(二月)の札の図柄と意味をご紹介します。
如月(きさらぎ)の札はこの四枚。
ここに描かれているのは、鶯(うぐいす)と短冊と梅の木です。
では、それぞれにどういう意味合いが含まれているのかを見て行きましょう。
カス札
花札全四十八枚中、二十四枚がカス札。
それで二月のカス札がこちらです。
描かれているのは、梅。
「梅は、百花の魁」(うめはひゃっかのさきがけ)などと申します。
寒い冬が過ぎて、たくさんのどの花よりも先に咲くのは梅の花だ、という意味です。
転じて、優秀な人物は時代を先取りして世に出てくるという意味でも使われる言葉です。
その上、良い香りが魔除けになるとも言われ、大変縁起が良い木です。
そんな縁起の良い梅が、言葉として初めて登場するのは、奈良時代(西暦751年)の漢詩集「懐風藻(かいふうそう)」。
この懐風藻が完成した半年後には、東大寺盧舎那仏像、いわゆる奈良の大仏様の開眼供養会が盛大に開催されたとあります。
そんな時代に梅は、大陸から日本にもたらされました。
奈良時代ですね。
そしてまず初めにやって来たと記録が残っているのは、白梅です。
薬や食べ物を実らせる木として、もたらされたのが始まりでした。
(ただ、梅の種は、縄文末期の遺跡からも出てきていますので、その時代には渡って来ていたようです。)
紅梅
二月カス札に描かれているのは、紅梅ですよね。
こちらは奈良時代の次、平安時代にもたらされたものだそうです。
当時は、食用薬用の白梅。
花色を楽しむ鑑賞用が紅梅というおおまかな違いもあったのだとか。
考えてみますと、白梅が日本の四季や生活に溶け込んだあとにやってきた紅梅です。
物珍しさもあったろうし、貴重なものでもあったというのは想像に難くありません。
清少納言の枕草子にも、こう書かれております。
「木の花は、濃きも薄きも紅梅」
平安中期には、貴族に紅梅への美意識が高まっていたことが伺えますね。
そしておおよそ旧暦の二月初めあたりが、現代の梅開花前線でみても京都での開花はじめに当たっております。
二月の短冊札
花札全四十八枚中、十枚が短冊札。
二月にも一枚、この短冊札があります。
こちらも一月の短冊札と同じく「あかよろし」となっておりますね。
これは、白梅に対しての言葉なのでしょうね。
つまり先ほどの説明通り、白梅より紅梅のほうが美(よろし)を感じていた平安の美意識の名残りなのでしょう。
そして描かれた点々は、木の芽起こしの春の雨なのかもしれません。
二月の種札
ウグイスな疑問
花札全四十八枚の中に、動物や特殊な図が描かれた重要な札が九枚あります。
これを種札と申します。
二月の種札が、梅に鶯(うめにうぐいす)です。
「梅鶯(ばいおう)の候」という言葉があります通り、梅の花が咲き鶯の声が聞こえる頃の事で、大変組み合わせが良く、素晴らしく調和した取り合わせというのが梅鶯なのです。
しかしこの花札図の鳥は、どう見ても鶯には見えません。
こちらが実際の鶯、、、花札よりも地味ですね。
それで色々調べてみると、花札に描かれているのはメジロの誤認だという話が多く見られたのです。
こちらがメジロ。
確かに、この札だけみたら、全体的にはメジロかなとは思いましたが、、解せない。
メジロの最大の特徴である目の周りの白が描かれてないじゃないか!と。
それで調べたんです。
そうしましたら、江戸時代の花札の図柄は現在みたいに統一されておらず、時代や場所によって違うんですね、絵柄が。
そしてそこで描かれている二月の種札は、今のと違って地味な鶯もきちんと描かれている札もあったのだそうです。
< 日本かるた文化館
やはりどうも、二月の種札はメジロと鶯と誤認したのではなく、ちゃんとした鶯を描いたものというのが正しいのだと確信できたのです。
梅に鶯は止まらない
鶯という鳥は、余り梅の枝には止まりません。
それより、藪の中に隠れるようにいながら、その辺の昆虫を食べています。
だから。
梅に留まるのは鶯ではなく、メジロを誤認したのだという話がなんとなく主流になっておるようです。
ところが、です。
テレビもスマホもパソコンも無かった時代です。
感性をそういった類のものに削り尽くされている現代人とは大違い。
日本人の自然観は園頃はとても鋭敏であります。
ですので、鶯とメジロを間違える訳はありませんよね。
では、梅に鶯とは何なのか?
これは縁起物の取り合わせ、つまりイメージです。
紅梅の花が咲き誇り、その向こうで鶯が鳴いているという心象風景です。
この二月札だけ写実的に解釈する必要は全くないんです。
花札の図柄が写実的ではないという事が一番ハッキリわかるのは、十二月の札。
桐に鳳凰でしょう。
鳳凰は霊鳥であり、東洋のフェニックス(不死鳥)とも呼ばれています。
桐に止まる鳳凰、実在しない風景ですよね、、そうです、花札の図柄はイメージなのです。
この基本的な点を押さえていれば、梅に鶯の図はすんなり胸に入ってくるのです。
花札二月の言葉遊び
さて二月札に込められた言葉遊びは何でしょうか?
お分かりでしょうか?
ヒントは「う」です。
これは分かりやすいですかね。
答えは一月と同じく、記事の最後に書いておきます。
☆如月
最後に、月名について。
陰暦での月の呼び方(和風月名)で、二月を如月(きさらぎ)と呼びます。
元々「如月」とは大陸の呼び名で「じょげつ」と読むのかな?
月(暦)の動きに従って、春を迎えるという意味があるのだとか。
この漢字に、日本の言葉の「きさらぎ」という読みを付けたのだそうですが、その「きさらぎ」は、衣更着だとされております。
この「衣更着」と申しますのは、寒さがまだ厳しく重ね着をする時期だからということですが、、、。
ところが、旧暦の二月は今年で言えば新暦の2月28日から3月28日までとなります。
この時期に、です。
寒さがまだ厳しく、先月に比べて更に重ね着をするでしょうか?
私にはそうは思えません、しかも近畿地方が基準ですから旧暦は。
そこで私には、こちらの説がいちばんシックリ来るのです。
それが「生更木」
これは樹木から生き生きとした若葉が萌え出ずるという意味です。
また一方で、「気更来」というのもあります。
こちらは、春の気配が一層強くやって来る時期という意味。
これもなかなか良いですよね。
少なくとも、ますます重ね着するというのと真逆。
なので衣更着は有効という場合は、旧暦二月を新暦の二月に重ねた時だけに言えるのではないかなと思うのです。
他には、草木張月(くさきはりづき)の読みが形を変えて「きさらぎ」になったという説もありますし、春の陽気が次々とやって来るという「来更来」でもあるかもしれません。
ともあれ旧暦の二月の時期を新暦に置き換えると、冬の名残りから春真っ盛りの時期となります。
ですからやはり私は、如月は衣更着ではないと思うのです。
さて、先ほどの花札如月の言葉遊びの答えは、「梅」と「鶯」です。
「うめ」と「うぐいす」で、「う」つながり。
こういう言葉遊びに、昔の日本人は洒落っ気を感じておりました。
現代に生きる私も、そういう遊びに粋を感じております。
という事で本日はここまで。
最後までお読み下すってありがとうございました。
どうぞ佳き一日をお過ごしくださいませ💐😊
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村上天皇の御世、清涼殿の前の梅が枯れ、代わりに京中から運ばれた梅樹に「勅なればいともかしこし鶯の、宿はと問はばいかが答へむ」の歌が結び付けられていた、という「鴬宿梅」の逸話による図柄。幕府の抱え工、奈良利永の赤銅地の丸形の鐔である。
拾遺集』になってようやく「紅梅」が、
鶯のす作る枝を折りつればこうばいかでか産まむとすらん(354番)
と詠まれていますが、これは物名(子をばいかで)ですから、美的な歌語として確立したとはいえそうもありません。