シーボルトの話

大シーボルト展 旅のレポート
この記事は約2分で読めます。

☆ドイツの博学者・医師

今日はシーボルトの話をさせてください。
まったく偶然なのですが、今度長崎に行く用事がありました。

長崎と言えば、私の好きなチャンポン皿うどんカステラの町。
それと、シーボルトが暮らした町。
なのでどうせ行くのだからと、美味しい店と、シーボルト記念館を見てこようと調べていたわけです。

・江戸時代に来日したシーボルト

正式な名前が、「フリッツ・フランツ・フォン・シーボルト」
通称、シーボルト。
博物学者であり、ドイツの医者でもありました。
日本には、オランダ人として日本に入ったと聞いています。
そしてこの国に、近代西洋医学をもたらしたと。

暮らしたのは、長崎の出島。
そこで、日本人の滝という女性と結婚。
やがて二人の間に、イネという女の子を授かりますが、このおイネさん。
その後大人になって、日本初の女医さんになります。

そのお滝さんは、遊女であったという話もあります。
ところが、こういう話もあるんです。
当時鎖国していた日本です。
外国人が暮らす出島には、一般人としては入れない。
なので、遊女という事にして入ったんだ、と。

そう言うところも、今回長崎に行って調べられたらなぁと思うのです。

・植物を収集したシーボルト

さて、シーボルトですが、日本滞在中に、植物なども積極的に収集してます。
二度、来日してるんですね。
最初の来日は、日本が鎖国中に。
約五年滞在しています。

その期間中に、植物に関して言えば2000種、標本は12000種と、膨大な種類を本国に持ち帰ったとの記録があります。
時に1830年
その植物の中に、アジサイも含まれていました。

ところで、シーボルトはアジサイをたいそう気に入っており、妻お滝の名前を、そのアジサイに付けたそうです。
それが「オタクサ」
この話、私大好きなんです。
当時は、日本人の奥さんを、本国に連れて帰ることはできなかった。
なので、シーボルトはオタクサにひとしお思い入れがあったでしょうね。

・二度目の来日

シーボルト二度目の来日は、日本が開国してから。
外交の仕事をつづけながら、お滝さんやおイネさんとも再会しています。

そして、この時も色々なものを収集し、三年で帰国。
シーボルトが西洋に紹介した日本の動植物や様々な収集品は、その後欧州の「日本学」に大きな影響を与えました。

・長崎歴史文化博物館

それで、今回いろいろと調べていたら、今年がシーボルト来日200周年にあたると知ったんです。
なんという不勉強。
そしてなんというめぐり合わせ。

もう嬉しくて嬉しくて。
長崎歴史文化博物館で、大シーボルト展が開催されている期間中に訪れますので、楽しみでなりません。
大シーボルト展

今から、ワクワクしております。

Ψ~ 緑の命 ~Ψ
執筆者
毎日をワクワクに変える植物教育研究家
kazuhiko
略歴
園芸の生産・流通・販売・教育と多岐にわたり都合45年勤務。
植物がもつ癒し力や、ちょっとミステリアスな植物の物語を、色んな年代の方に届けています。

現代は、デジタル時代。毎秒おしよせつづける情報に、私たちの脳は、年中無休の疲れ気味。 そこで身近な植物を使った、効果絶大わずか5分の、カンタンな心身癒しをご提案中♪
旅のレポート
シェアする
KAZUHIKOをフォローする
タイトルとURLをコピーしました