江戸が、日本園芸の原点ともいわれる理由

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☆江戸時代以前は、薬学

・江戸時代までの植物学

まず初めに日本の歴史を江戸時代初めまで、これまでになく大ざっぱに言うとこんな感じです。
1、野生生活から文化が生まれ、村となり。
2、村同士が戦ってクニとなり。
3、クニ同士が戦って最後には統一されて、それが江戸。

ある一面から見たら、、、こんな感じで間違いないですよね?(と、ちょっと弱気)

さてこのように江戸時代になって、ようやく世の中が戦乱から解放されて「平和」が訪れました。
こうして平和になると、心のゆとりが生まれて、いわゆる園芸が発達しました。
これが江戸特有の園芸で、現在のガーデニングと趣(おもむき)が違うんですね。

ところがこの江戸時代の前まで。
平和がもたらされる前は、園芸学というのはありませんでした。
では何があったのかと言うと、植物に対する学問としてあったのは、本草学のみだったんです。

・本草学

「ほんぞうがく」と読みます。
これは、もとは明(みん)を中心に東アジアで発達した薬学のこと。
それが奈良時代に日本にわたってきて、根付きました。

ですがただ伝わっただけではなく、本草学は日本に来て、独特の進化をします。
本来の薬学と中心としながら、自然科学や博物学の要素もまじりあってきたんですね。

ザックリ言うと、こんなふうです。
「人は、自然の中から食べ物を得て、病になれば自然の草根木皮を薬にしてきた。
草根木皮には毒になるものもある。
なので、薬になる草や木の正しい知識を伝え、正しく自然界を理解していく。」
これが日本の本草学の基本の考え方であり目的でなのです。
イメージは、千と千尋の神隠しのカマじいでしょうか。

これが、江戸時代に入るまでの植物への唯一の学問でした。

☆江戸時代からは、園芸学も始まった

前にも申しました通り、江戸時代に入ると平和が訪れました。
江戸幕府の統治です。
色んな文化が花開きましたね。

華やかな歌舞伎は、その中心かもしれません。
それにともなう形で、園芸も発展していきました。

徳川家康さんとからの徳川三代将軍は、みなさん園芸がお好きというんですね。
なので園芸に関しては、天皇家や各地の大名から江戸の庶民にまで、一気に園芸への関心が高まり、独自の園芸文化が芽生えたんです。

ここからようやく、日本の園芸学が始まったんです。
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Ψ~ 緑の命 ~Ψ
執筆者
毎日をワクワクに変える植物教育研究家
kazuhiko
略歴
園芸の生産・流通・販売・教育と多岐にわたり都合45年勤務。
植物がもつ癒し力や、ちょっとミステリアスな植物の物語を、色んな年代の方に届けています。

現代は、デジタル時代。毎秒おしよせつづける情報に、私たちの脳は、年中無休の疲れ気味。 そこで身近な植物を使った、効果絶大わずか5分の、カンタンな心身癒しをご提案中♪
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