☆禊と植物と水と
花手水
日曜日の朝です。
のんびり過ごしてます。
なので今日はブログ緑の命も手抜きします!!
手抜きというからには、その手も清めなければなりませんね。
ですので、先日神社で見かけました花手水の画像を。
なんて、ここで終わったらもう究極の手抜きですから、もう少し書きますね。
この花手水は、つい最近始まった風習です。
コロナ禍で手水舎も感染の危険があるとされて、それなら花を飾ろうと2017年に、京都長岡京の楊谷寺から始まって、インスタ映えするという事で一気に全国に拡がったらしいです。
ううむ、申し訳なくて手水できぬ、、、
手水舎と手水鉢
神社への参拝前に両手や口中を清める手水舎というのがありますよね。
神に参拝する前に、せめて、柏手を打つ両手と祝詞を発する口中を清める場所ですが。
この手水舎の中にある、水をためる場所が手水鉢。
手水の作法
この参拝前の手水には、手順があります。
まず、右手で柄杓を取り、手水をためて左手を洗います。
次に柄杓を左手に持ち替え、右手を洗います。
これで両手の清めが終わりました。
それから再び柄杓を右手に持ち替えて、左手に水を注ぎ、その水で口の中をすすぎます。
この時決して柄杓から直接口に水を含んではいけません。
口をすすいだ水は、静かにそっと下へ吐き出します。
さてこのままだと、せっかく清めた左手に、まだすすぐ前の穢れた口が水を介して接触したことになりますよね。
なので右手に持ったままの柄杓の水で、もう一度左手を洗います。
これでようやく、右手・左手・口と清めたことになります。
最後に、使った柄杓の残り水で、使った柄杓を洗います。
右手に持ったままの柄杓を垂直近くまで立て、手に持った柄の部分に水を流し終えたら、使った柄杓を、元の場所に静かに戻して禊(みそぎ)が完結です。
ちなみにこの際、左利きの人は作法が逆になるのかというとそうではありません。
右手と左手それどれに意味がありますから、利き腕は関係なく、この手順で進めるのが正しいやり方です。
これは神聖な儀式ですから。
手水の原点
この手水。
これは日本人が縄文時代から親しんできた自然信仰の名残りです。
この自然信仰から神道(しんとう)が出来たというのは、確か前にお話ししましたよね。
神道は、神社。
仏教は、お寺。
ですから手水舎は神社の前に置いてあるのです。
ところでこの手水。
元々は何だったのでしょうか?
ちょいと疑問に思う方もいらっしゃるかもしれません。
これは、自然のカミに祈る前に古代人が行った川や泉などでの禊です。
禊は、しめすへん、つまり「示」に「契」です。
示編は、ネ編でもある通り、神に関する言葉であることを意味します。
お祈りなどをする前に行う、神と交わした清めの約束事ということです。
昔は禊を川や泉で行ったのでしょう。
今でも祭り前に頭から桶水をかぶることが有りますが、あれも名残りの形です。
その禊の名残りが、各神社にある手水舎なんです。
御手洗場
トイレの事を、お手洗いと言いますね。
それで、苗字に御手洗(みたらい)というのもあります。
こうしてみると、お手洗いは、御手洗から来たことが分かりますね。
でも御手洗は便所の事ではありません、あちらは厠(かわや)ですから。
この御手洗。
古い神社で、日本神道の総本山とも言われるお伊勢さん。
伊勢神宮にも残っています。
伊勢神宮内を流れる清流、五十鈴川。
この川岸に、御手洗場と言うところが遺されています。
(画像は伊勢神宮サイトより引用)
これは神宮参拝のおり、参拝者が手水した場所。
この御手洗場を簡易に各地に置いたのが、手水鉢なのでしょうね。
余談ながら、便所の別名「厠」ですが、カワヤと読みますよね。
どうも大昔は、下に川があって、そこに排泄物を流すという仕組みもあったようで、川屋という説もあります。
もちろん、御手洗場と川屋は別々の川であったことは間違いありませんよね。
あ~~なんだかんだで長くなってしまったと反省しつつ。
本日はここまで。
最後までお読み下すってありがとうございました。
どうぞ佳き一日をお過ごしくださいませ💐