三箇日めでたい話~お正月の松の話⑧

高砂の松 古典園芸
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☆祝言歌

・高砂

さて、お正月に歌われる祝言歌の定番に「高砂」があります。
その読みは、たかさご。
そうそう、婚礼歌としても有名ですね。
また歴史も古く、室町時代の能楽の演目なんです「高砂」。
その中で歌われる唄なんですね。

そしてこの高砂、これがまた「松」に関係してるんですよ。
その歌詞はこうです。
高砂の松

・高砂の歌詞

高砂や この浦船(うらふね)に帆を上げて
この浦船に帆を上げて
月もろ共に出汐(いでしお)の
波の淡路の島影や
遠く鳴尾(なるお)の沖こえて
はや住(すみ)の江につきにけり
はや住の江につきにけり

四海波静かにて
国も治まる時つ風
枝を鳴らさぬ御代(みよ)なれや
あいに相生(あいおい)の
松こそめでたかりけれ
げにや仰ぎても
事もおろかやかかる代に
住める民とて豊かなる
君の恵みぞありがたき
君の恵みぞありがたき
高砂の松

・婚礼歌の場合

正月の祝言歌ならば、そのままの歌詞で構いませんが、結婚となるとこのままではどうもよろしくないんですね。
なぜなら、婚姻の場では避けるべき忌み言葉が含まれているからです。
そのひとつが「出汐」。
さらにもうひとつ「遠く」。

しかし婚姻歌の場合は、これらを「満潮」と「近く」に替えて歌うんですね。
日本は言霊の国ですので、随所でこうして細かな言葉の変更が見られますが、すべて言葉に魂が宿っているという考えから来ているのです。

☆高砂と松

・能楽の高砂

能楽の高砂。
さてこれはどういうお話かと申しますとですね、なんとも良い話なんです。
ザッとではありますが、おおよそのお話のあらすじを記しておきますね

・高砂のあらすじ

時は平安中期、醍醐天皇の御代。
阿蘇神社の神官が、当時の都である京都に向かう途中、播磨国(今の兵庫県)でのこと。
高砂の尾上神社を参拝し、次に相生の松を訪ねたところ、そこには一組の老夫婦が、松葉をかき集めて掃除をしていた。
夫は熊手、妻は箒(ほうき)を手に持ちながら。
高砂の松

そして老夫婦の話によると、「相生の松」は、ここ高砂の尾上と向こう岸の住江の二ヶ所にあるという。
そこで神官が、なぜ離れた場所にある松が同じ名前なのかと尋ねると、老人はこう答えた。

「私は住江に住むもの。
そして妻はここ高砂に住むもの。
それがこうして海を隔て、時を隔てても、夫婦の想いは変わらないものでございます。」
そう言葉を残して、老人は船に乗り住江へと漕ぎ出す。
夫婦は、松に宿る神だったという話。
高砂の松

この時に歌われるのが、祝言歌・高砂なのです。

☆ゆかりの神社

高砂の浜にゆかりのある神社が、兵庫県加古川市にある尾上神社(おのえじんじゃ)
今では5代目となった相生の松ですが、現存しています。
そして住江にあるのが住吉大社
そうです、お正月の松の話④松の木への崇拝でも書きました松苗神事の住吉大社です。
なんでも、住吉という地名はもともとは住江と言ったんだそうですよ。
神社

☆松の木と、言葉に宿るカミ

このように古代日本から、日本人は松の木に対しては特別な思いがあったのだと分かります。

松の木に神、ああそうだろう、あれは神聖な木だ!
そういう共通の思いが根底に無いと、このお話は成立しませんので。
つまり多分、当時多くの日本人がこのイメージをすんなり描けたはずなんですね。

そうでないとこうして現代まで、高砂という祝言歌は残ってなかったろうと思うんです。
松に宿る神が、時の神職に、夫婦和合と長寿繁栄について伝えるわけですから。

そしてこういう思いや伝承を胸に置いたうえで、なぜこの高砂が祝言歌なのかと思いを巡らすだけで、実にありがたい歌に変化してきます。
おそらくですが、古い時代の自然信仰が、言霊として歌詞に宿ったのじゃないかなんて思えるんです。
高砂の松

ということで、本日も最後までお読み下すってありがとうございました。
どうぞ佳い一日をお過ごしください💐

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Ψ~ 緑の命 ~Ψ
執筆者
毎日をワクワクに変える植物教育研究家
kazuhiko
略歴
園芸の生産・流通・販売・教育と多岐にわたり都合45年勤務。
植物がもつ癒し力や、ちょっとミステリアスな植物の物語を、色んな年代の方に届けています。

現代は、デジタル時代。毎秒おしよせつづける情報に、私たちの脳は、年中無休の疲れ気味。 そこで身近な植物を使った、効果絶大わずか5分の、カンタンな心身癒しをご提案中♪
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