☆祝言歌
・高砂
さて、お正月に歌われる祝言歌の定番に「高砂」があります。
その読みは、たかさご。
そうそう、婚礼歌としても有名ですね。
また歴史も古く、室町時代の能楽の演目なんです「高砂」。
その中で歌われる唄なんですね。
そしてこの高砂、これがまた「松」に関係してるんですよ。
その歌詞はこうです。
・高砂の歌詞
高砂や この浦船(うらふね)に帆を上げて
この浦船に帆を上げて
月もろ共に出汐(いでしお)の
波の淡路の島影や
遠く鳴尾(なるお)の沖こえて
はや住(すみ)の江につきにけり
はや住の江につきにけり
四海波静かにて
国も治まる時つ風
枝を鳴らさぬ御代(みよ)なれや
あいに相生(あいおい)の
松こそめでたかりけれ
げにや仰ぎても
事もおろかやかかる代に
住める民とて豊かなる
君の恵みぞありがたき
君の恵みぞありがたき
・婚礼歌の場合
正月の祝言歌ならば、そのままの歌詞で構いませんが、結婚となるとこのままではどうもよろしくないんですね。
なぜなら、婚姻の場では避けるべき忌み言葉が含まれているからです。
そのひとつが「出汐」。
さらにもうひとつ「遠く」。
しかし婚姻歌の場合は、これらを「満潮」と「近く」に替えて歌うんですね。
日本は言霊の国ですので、随所でこうして細かな言葉の変更が見られますが、すべて言葉に魂が宿っているという考えから来ているのです。
☆高砂と松
・能楽の高砂
能楽の高砂。
さてこれはどういうお話かと申しますとですね、なんとも良い話なんです。
ザッとではありますが、おおよそのお話のあらすじを記しておきますね
・高砂のあらすじ
時は平安中期、醍醐天皇の御代。
阿蘇神社の神官が、当時の都である京都に向かう途中、播磨国(今の兵庫県)でのこと。
高砂の尾上神社を参拝し、次に相生の松を訪ねたところ、そこには一組の老夫婦が、松葉をかき集めて掃除をしていた。
夫は熊手、妻は箒(ほうき)を手に持ちながら。
そして老夫婦の話によると、「相生の松」は、ここ高砂の尾上と向こう岸の住江の二ヶ所にあるという。
そこで神官が、なぜ離れた場所にある松が同じ名前なのかと尋ねると、老人はこう答えた。
「私は住江に住むもの。
そして妻はここ高砂に住むもの。
それがこうして海を隔て、時を隔てても、夫婦の想いは変わらないものでございます。」
そう言葉を残して、老人は船に乗り住江へと漕ぎ出す。
夫婦は、松に宿る神だったという話。
この時に歌われるのが、祝言歌・高砂なのです。
☆ゆかりの神社
高砂の浜にゆかりのある神社が、兵庫県加古川市にある尾上神社(おのえじんじゃ)
今では5代目となった相生の松ですが、現存しています。
そして住江にあるのが住吉大社。
そうです、お正月の松の話④松の木への崇拝でも書きました松苗神事の住吉大社です。
なんでも、住吉という地名はもともとは住江と言ったんだそうですよ。
☆松の木と、言葉に宿るカミ
このように古代日本から、日本人は松の木に対しては特別な思いがあったのだと分かります。
松の木に神、ああそうだろう、あれは神聖な木だ!
そういう共通の思いが根底に無いと、このお話は成立しませんので。
つまり多分、当時多くの日本人がこのイメージをすんなり描けたはずなんですね。
そうでないとこうして現代まで、高砂という祝言歌は残ってなかったろうと思うんです。
松に宿る神が、時の神職に、夫婦和合と長寿繁栄について伝えるわけですから。
そしてこういう思いや伝承を胸に置いたうえで、なぜこの高砂が祝言歌なのかと思いを巡らすだけで、実にありがたい歌に変化してきます。
おそらくですが、古い時代の自然信仰が、言霊として歌詞に宿ったのじゃないかなんて思えるんです。
ということで、本日も最後までお読み下すってありがとうございました。
どうぞ佳い一日をお過ごしください💐