☆大好きだった祖母の形見
・明治生まれ
育ての両親が共働きだったこともあり、私は根っからのおばあちゃんっ子。
いつも一緒に居る分、私は一番の祖母の理解者だったし、祖母は私の理解者でした。
明治生まれの祖母です。
祖母が子どものころは周囲にずいぶん江戸の風情を残した人が居たわけです。
そんな祖母にいろんな話を聞くのが好きでした。
そう言う事が積み重なって、20歳を過ぎて私は江戸園芸の流れを組む、古いタイプの師匠陣に付くことになります。
こうしてみると、幼児のころの環境がその後に与える影響ってぇのはかなり大きいわけで。
私はこうしてみても、良い時代に育ったんですねぇ。
全体がのんびりしてましたもの。
こんな私は昭和生まれ。
明治だなんていうと相当昔のように感じてました。
ということはつまり、令和に生まれたお子さんには同じように思われるんでしょうね。
ああ、気持ちは若いつもりなんですが、そんな時代まで生きてしまいましたね。
・お道具に対する姿勢
昔は、何をするにも資源が乏しかったでしょう。
ですから、物は大事にしたものです。
昭和の半ば生まれの私が子供のころは、もう大量消費社会になっていましたね。
ところがこちらは田舎です。
まだまだ物を大事にする風潮が残っていました。
特に私なんかは、明治生まれの祖母の教えで大切にする癖が身に付いちゃってる。
どれぐらい身に付いちゃってるかと言うと。
高校入学の祝いで買ってもらった腕時計がまだ現役です。
そして、高校時代のジャージをまだ時々部屋着にしています。
どうにも、今の感覚で言うと、変な人になりましょうね。
もちろん、捨てるものは捨てますし、買い替えもします。
ですが、思い出や思い入れを「モノ」に込めやすいんでしょうね。
こうなると、そのモノに情が湧いてくるんです。
こうなると、人生の同志みたいな気持ちになって、捨てられないし使い続けたい。
これはケチとは違うんです。
気に入ったお道具への姿勢なんですね。
・菜切りの庖丁
菜切り庖丁。
これは、和庖丁の一種です。
そして、91歳まで生きた祖母は、私にこれを遺して旅立ちました。
そんな祖母が若い頃から愛用していた菜切り庖丁。
研ぎに研がれて厚みは、更に薄くなっています。
大変な時代を生き抜いて、この庖丁で野菜や山菜を毎日のように刻み、7人の子供を育てたのでしょうね。
それで今は私がこうして受け継いでいるのです。
ところが、実際に調理するときは怖くて祖母の形見は使えません。
なぜなら、下手をすると刃を欠いてしまうんじゃないかと思うから。
このように、それぐらい薄いんです。
そしてこの庖丁、長年祖母が我流で研いでいたので、刃が波打ってしまってる。
これでは私もそう簡単に研げないんですね。
☆包丁研ぎの職人さん
そこでついに昨日。
包丁研ぎの職人さんたちが出張研ぎに見えてらっしゃるとの情報。
そこで、ちょっと遠かったんですが思い切ってそのお店に、形見の庖丁を持って行ってみました。
すると、あまりにも古くボロボロの庖丁なのにもかかわらず、職人さんの連携で、見事に修復して下すったんです。
①確認と全体の修正⇒②荒砥ぎ⇒③表面処理⇒④小刃づけ⇒⑤仕上げ確認
ご覧ください。
刃に付いた癖も無くなり、切れ味も新品同様。
セラミックシャープナー、それには出せない刃物の命みたいなものが宿りますね。
こういうのもまた、失ってはならない職人の技なのだ。
そう思い知らされた昨日の出来事でありました。
さて、今日も最後までお読み下すってありがとうございました。
どうぞ佳き日でありますように💐