☆富田忠雄さんとの思い出
このご時世、人工知能で文章書いたり、絵を描いたりできる時代に、、ですよ。
私は朝早く起きて、ラベンダーの絵を4枚も描いて、、ですよ。
こうしてブログにアップしようとしているわけです。
そんな朝7時、札幌は晴れであります。
・日本のラベンダーを最後まで愛した人
私が幸運だったのは、富田忠雄さんがご存命の時に直接お話を伺えたことです。
30分の予定だったのですが、なんと3時間もお話して下すったんですね。
日本のラベンダーの歴史を、歴史の証人から直接伺えたこと、私の宝です。
ザックリ話すと、このようになります。
札幌で始まったラベンダー栽培。
香料を採るための植物でもありますから、やがて富良野では町の産業にまでなりました。
その後海外から、安価な人工香料が輸入されるようになりました。
それで、国内のラベンダー栽培農家は激減。
国内最後のラベンダー栽培農家が、富良野のファーム富田だったんです。
ただ、栽培を続けるにはあまりに経営が苦しい。
なので、いよいよもう駄目だ、もうラベンダー栽培は辞めようと決断した忠雄さん。
最後に残されていた、愛情を持って育てていたラベンダー畑を潰すために、トラクターに乗って畑への道を上っていたんです。
・つないでくれたあの時の風
その時に、一陣の風が畑の方から吹いたんです、と忠雄さん。
「その時一緒に香ってきたラベンダーが「お願い、潰さないで」と私には聞こえたんですね」
と、そんなふうに、あのやさしい笑顔で語ってくださいました。
その一年後、国鉄のカメラマンがたまたま来て、ラベンダーを撮影。
全国版のカレンダーになり注目を集めます。
その翌年「北の国から」での親子の哀しい再会の場面が撮影されます。
ここで一気にラベンダーブームとなったわけです。
☆ラベンダーの剪定について
あの時予定時間を大幅に超えて、親切丁寧しかも愛情をもって私にラベンダーの魅力を語って下すった富田忠雄さん。
あの笑顔と姿勢に、少しでもお応えしたくて。
折に触れて、ご存じない方が多いので、こうしてお手入れの方法をお伝えしてきました。
では、前置きが長くなりました。
本文、参ります!
・ラベンダーの各部分の説明
物凄く分りやすく単純で、さらに雑に説明します。
図をご覧ください。
ラベンダーは、根の部分・木の部分・葉の部分・花の部分の4つに分かれます。
あれ、見えますか?
小さかったかな💦
・年に一回、カットしなければならない部分
夏に花が咲きますよね。
ラベンダーの花が。
それが合図です。
剪定(カット)をします。
パターンは二つ。
①ドライフラワーで楽しみたい場合は、ツボミが1~2輪開いた朝。
②花が終わって全体が茶色がかり始めた時。
この時にカットしなきゃならないのは、図の赤い部分。
丸みを帯びるように切ると良いです。
葉の部分の真ん中か、やや下の方を切っていきます。
大事なのは、切り終えたあと、株にきちんと葉が残っていることです。
・ラベンダーを切った後の様子
こういうイメージです。
こうして毎年、花の時期に株の形を整えつつ、花を刈り取るんです。
・ラベンダー大暴れの図
もしも花が終わってカットせずに放置した場合。
年々、木の部分が好き勝手に伸びて、葉の部分は徐々に上へ上へ。
もうこうなると、元に戻すのは無理です。
木の部分に、ちゃんと葉を残して切らないと、その枝の部分は死んでしまうから。
形がこんもりとしたものには戻りません。
これがイメージ図。
中には、大暴れラベンダーが好きという方もいらっしゃるので、それはそれとして。
ということで、ご参考になれば幸いです。
最後までお読み下すってありがとうございました。
では、今日があなたにとって佳い一日でありますように💐